まぜまぜダーリン

 冬の日の入りは時間が早い。夕方を過ぎれば、もうあたりは真っ暗だ。
 だから柊子がバスケ部の練習を終えた時にも空はすでに暗く、月が頭上に輝いていた。
「あ、そういえば知ってる?」
 ロッカールームでなにげなく同級生が口を開いた。
「なにを?」
 着替えながら柊子が聞き返す。
「最近ここらへん、変な男がうろついてるんだって。なんかコート着て、めっちゃ深く帽子かぶって、すっごく怪しいって!」
「ええっ、やだあ!」
 柊子は思わず声を上げた。
「怖いよねー。気をつけないと」
「ね、途中まで一緒に帰ろ」
 誰ともなくそう言い出す。日頃のチームワークのおかげか、一致団結するのは早かった。
 そして、皆で校門を出ようとしたその時である。
「ああっ!」
 一人が叫んだ。
「なになに?」
「あ、あのひと……っ」
 震えながら指差す先を見れば、確かに長身の男がいる。
 校門から少し離れた路地で、伺うようにこちらを見ている。
 ロングコートに深くかぶった帽子。
 噂通りだ。
 険しい顔をした先輩達が、柊子達一年生の前に出る。自分より遥かに高いその背中の隙間から、柊子は男を見た。
 街灯から照らされた影で、よく表情が見えない。
 それでも、柊子はその男を知っている。自覚する前に、頬がひくついた。
「……い、イナクタプト……」
 思わず口から声が零れる。
 振り向く先輩達の視線が、突き刺さるようだと柊子は思った。


召喚2:「隣の変態さん」


 クリスマスが近いせいか、街中にクリスマスソングが溢れていた。イルミネーションは輝きを増し、どこからともなく恋人達の足音が聞こえる。
 そういった色気とは程遠いスーパーの袋を抱えたイナクタプトは、無言で柊子の一歩後を歩いていた。浅黒い肌に、白のセーターと乳白色のコートがよく似合っている。街中を甲冑で歩くのだけはやめてくれと、柊子が用意したものだった。ネオンに時折照らされる顔には、頬に紋様が刻まれている。それが珍しいのか、それとも別の要因か、時折すれ違った後に振り返る人たちもいた。
 大通りを抜け、住宅街に入ると、先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。
 しんしんと冷える空気。吐く息は白く、あっという間に闇に呑まれる。
「大丈夫? お米、重くない?」
 柊子が気遣わしげに振り返る。
「いいえ」
 イナクタプトは平然と答えた。十キロの米を、軽々と手にしている。本当に負担ではないようだ。
「もー、おとーさんたら、急に“米がないから買ってこい”なんて。勝手なんだから」
 柊子が頬を膨らませる。
「だいたいさー、ついでに学校に迎えに寄越すなんて、ホントなに考えてんの。さっきなんか心臓止まるかと思ったんだから。従兄弟です、って言った時のあの先輩達の顔! 見た? 明らかに不信がってる」
 その表情を思い出し、柊子は苦い顔をした。
 あの時、不審者がイナクタプトだとわかった柊子は、慌てて先輩達の前に躍り出た。イナクタプトを背にかばいながら、必死に事情を説明する。
 湯船から出てきた異世界の人です――とは、まさか言えず、咄嗟に出てきた嘘が「従兄弟です」だった。
「従兄弟ぉ?」
 先輩が思い切り怪訝な顔をした。イナクタプトの彫りの深い顔立ちが、余計に不信感を煽ったらしい。
「あー、もう、明日からどうしよう」
 イナクタプトが返事をしないでいると、柊子の足がぴたりと止まった。
 つられてイナクタプトの足も止まる。
 きっちり、一歩分後ろだ。
 ふるふると拳を握り締めた柊子が、くるりと振り返る。
「しゅうこ?」
 イナクタプトが不思議そうな顔をする。
「これじゃあ、あたし、独り言言ってるみたい!」
 柊子が怒り出す。その矛先が自分に向いているらしいところまで、イナクタプトは理解した。
「もーやだ! なんで一歩後ろを歩いてるの? 隣歩けばいいじゃん」
「それはできません」
 さらりとイナクタプトは答えた。
「主と並ぶなどもってのほかです」
「だからあたしは主じゃないってば!」
「いいえ。しゅうこは私の主です」
「あー、もー!」
 焦れるように柊子は叫んだ。
「だいたいあんたね……」
「いいいいいいちゃいちゃしてんじゃないぞおおおおおお」
 柊子の声にさらに上乗せで、男の叫びが木霊した。驚いた柊子が振り返る。
 住宅街の路地、街灯に照らされた電柱の影の部分に隠れるように、その男はいた。コートの上からでも、痩せこけた体躯がわかる。けれど柊子より背は高い。うっすらと円を描くように肌が透けて見える頭に、俯いた顔にはメガネがかけられていた。足元には帽子が落ちている。
 その手には、カッターナイフ。
 チキチキと刃を出しながら、男は呻いた。
「僕が勉強してる間に、なんだ君達は。いいいいいいいいちゃいちゃいちゃいちゃ」
 ぶるぶると震える手で、男が壁にカッターナイフを突き刺す。がりがりと音をさせて、ナイフの刃を飛ばしながら何度も壁を削り始めた。
「ちょ……」
 柊子の足が凍りつく。
 帽子。コート。
 変態さん。
 本当にいたのだ。
「なめるんじゃないぞおおお」
 男がヨダレを垂らしながら、柊子に襲い掛かる。
「きゃあああ!」
 柊子が頭を抱えた瞬間、横を風がすり抜けた。
 イナクタプトだ。
 自分の視界を流れていく銀髪を、柊子ははっきりと見ていた。
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