まぜまぜダーリン

「面目ない」
 イナクタプトはわずかに頭を下げた。はずみで長く艶やかな銀髪がさらりと流れる。
 だが、目の前にいる柊子の怒りは当分収まりそうにない。
 向かい合ったまま正座した二人は、なにかの反省会をしているようでもあった。
「他にあたしに言ってないこと、ないの!?」
 バスタオルに身を包んだままの柊子は、憤りを隠さなかった。
 隣人に裸を見られたせいもあって、柊子は涙目だ。
 ぶるぶると肩が震え、今にも泣き出しそうである。
「他に……」
 柊子の言葉を受け、イナクタプトは考え込んだ。
 異世界召喚について、柊子はなにひとつ知らないと源次郎は言っていた。ひとつずつ、ゆっくりと教える必要があるだろう。
 では、まずどこから教えればいいのか。
 イナクタプトの額に汗が滲む。
 どうやら彼に、その役は不向きなようだった。
 無言の時が過ぎる。
 言葉を探し続けるイナクタプトは、切り口を見出せずにいた。
 柊子が、たまりかねたように、そばにあったかきまぜ棒を手にした。
「もーわかった! じゃあ、あたしが聞く!」
 勢いよくその先端をイナクタプトに向ける。
「なんであたしが使った時だけ変なのが出てくるの!? おとーさんだって使ってるのに!」
「そりゃ俺は召喚士の血筋じゃないからなぁ」
 イナクタプトの代わりに、源次郎があくびを噛み殺しながら答える。鷹揚に肩を鳴らした源次郎は、台所から日本酒を持ってきた。
「なあ、柊子。別にありゃあイナさんが悪いわけじゃないだろう」
 言いながらおちょこに酒を注ぎ、ちびりと杯を傾ける。その仕草に余裕が満ちていることもまた、柊子の癪に障った。
「おとーさんは黙ってて!」
「まあ、佐藤さん召喚できるようになったならいいじゃないか」
 変態が帰り際、きちんと源次郎に名乗って挨拶をしたのだと言う。
 笑って帰した源次郎も源次郎だと柊子は怒った。
「よくないわよ! あんな……」
「おいおい」
 源次郎が呆れたように柊子を制した。
「佐藤さんは東大目指して十一浪人中の夢追い人だぞ。えれえ頭がいいんだ。大体、大の男に正座なんかさせるなよ。潰れちまうぞ」
 源次郎が一気に酒をあおる。
 柊子が腰を浮かせた。
「もー! おとーさんは黙っててったら! だいたい潰れるってなにが……」
「ナニが」
 イントネーションを微妙に変え、源次郎が返答した瞬間、柊子はかあっと赤面した。
「馬鹿馬鹿! 変態!」
 ざぶとんを源次郎に投げつけ、風呂場へと駆け出す。
「しゅうこ」
「いいっていいって。ほっときな」
 追いかけようとしたイナクタプトを源次郎が止める。イナクタプトは中腰のまま源次郎を見た。
 源次郎がどこ吹く風でとっくりを傾ける。
「あれもそのうち慣れるさ。それよりどうだ、一杯」
 笑いながらおちょこを差し出す。
 気遣わしげに風呂場を見やったイナクタプトは、ためらいがちに盃を手にした。


召喚3:「影虎」


「なんなのよ、もう!」
 バスタオルに包まったままの柊子は、八つ当たりするようにかきまぜ棒を湯の中に突っ込んだ。すっかり体は冷えてしまった。もう一度入りなおさないと、きっと風邪を引いてしまう。
 お湯の中でゆらめくかきまぜ棒を見て、はっと気付く。
 もう、これは使わないほうがいいのかもしれない……。
 柊子はかきまぜ棒を勢いよく引き抜いた。その瞬間だった。
 湯船の中で描かれた水流の奥が光る。
「う、うそ……!」
 柊子が動揺する間もなく、湯船に光が満ちる。
 水面の上にシンプルな魔方陣が浮かんだ。
 その中央に、やはり男がいた。顔を伏せているが、佐藤ではない。体格がまるで違う。
 そしてイナクタプトでも。
 光が収束していく。
 完全に姿を現した男が大股に魔方陣から浴室に降り立った。はずみで、身につけている着流しがひらりとなびく。脇に差した大小の刀が、かちりと鳴った。硬そうな黒髪を乱雑にまとめて、ひとつに縛っている。顔にはイナクタプト同様、紋様が描かれている。複雑なイナクタプトのそれとは違い、実にシンプルだ。Vを横にした形に近い。
「ほほぅ」
 男は柊子を見ると、自分の顎を満足げにさすった。
「今度の君主はえらい可愛いもんじゃのぅ」
 がはは、と豪快に笑い飛ばす。
 柊子は、声も出ずにただその男を見ていた。

 もうお風呂に入ることをすっかりあきらめた柊子が、男を連れて居間に戻る。男の姿を見たイナクタプトがすぐに立ち上がった。
「影虎か」
「おう、イナクタプト! ここにおったか!」
「え? 知り合い?」
 柊子が二人を見比べる。
 イナクタプトが不本意そうな顔をする。影虎は構わずイナクタプトの肩を抱いた。イナクタプトがすぐさま手を振り払う。
「幼馴染じゃ」
「同期です」
 意味が微妙に違う気がする。
「賑やかになったなぁ」
 源次郎が盃を傾ける。
「おう、親父さんか。世話になるぜ。よろしゅう」
 影虎はにやりと笑った。実に好戦的な笑みだった。
 そして立ち尽くす柊子の前で太刀を抜く。
「わしは信州影虎。戦いの中に生まれ戦いの中に死ぬ戦人(いくさびと)じゃ。召喚に応じ、お前に手を貸す。殺したいヤツはどこだ?」
 影虎の言葉に、柊子は慌てて首を振った。
「ちちち、ちがうの! あたし、そういうつもりじゃ……」
「ん?」
 影虎が目を丸くする。
 イナクタプトが言い聞かせるように告げた。
「ここに戦う敵はいないそうだ。影虎」
「は? なに言うとるんじゃ、お前は」
 影虎がイナクタプトを振り返る。
 それが冗談ではないことを知るのは、それから間もなくのことだった。
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