まぜまぜダーリン

「うまいっ! おかわり!」
 翌朝、五杯目のご飯をかきこんだ影虎は、ご飯茶碗を柊子に突き出した。
「ふわあ、よく食べるねぇ」
 呆れた柊子が六杯目のご飯をよそおう。
「そりゃ、食える時に食っとかんとのう」
 しししと楊枝を銜えた影虎が笑う。隣で黙々と口に飯を運ぶイナクタプトとは、対照的だ。
「イナクタプトは? おかわりいる?」
「いいえ」
「こいつは昔から食わんのじゃ」
「影虎」
 イナクタプトが諫めるように影虎を睨む。その視線を受けた影虎は、不敵に微笑んだ。
「ふうん」
 柊子が自分も箸を動かしながら、二人を見た。
 西洋風の顔立ちであるイナクタプトと、日本人に近い影虎。所作も性格も、まるで違うのが不思議だった。
「あ、あたし学校行かなきゃ」
 時計を見た柊子が慌てて立ち上がる。
「おとーさんにお弁当持っていくよう言っといて! イナクタプト達の分もあるから。あ、あと」
 鞄を持ち、玄関に駆け込んだ柊子はくるりと影虎を振り返った。
「その刀、外に出る時持って行っちゃダメだよ!」
「断る」
 茶を啜りながら、影虎は答えた。
「これはわしの魂じゃ」
「でも、ダメだったら」
 柊子が重ねて抗議すると、影虎は面倒臭そうに立ち上がった。ぎしぎしと廊下を踏み鳴らしながら、大股に柊子に近づく。
 玄関先で立っている柊子を見下ろすと、わずかに殺気を滲ませて、言った。
「戦人から鎧を剥ぎ取り刀を奪い、それでも生きよという。そんな無能な君主、わしなら」
 イナクタプトをちらりと見た影虎は、柊子に顔を寄せた。耳下でそっと囁く。
「とっくに斬り捨てとる」
「なっ」
 柊子がさっと身を引く。その顔が青ざめているのを見て、影虎は満足げに微笑んだ。
「さ、行きんしゃい。どっか行くところがあるんじゃろ?」
 影虎が手を振る。
 柊子は凍りついたようにその場に立ち尽くしていた。
「しゅうこ?」
 不穏な気配を察したイナクタプトが、玄関をのぞく。
「な、なんでもない」
 柊子は慌てて鞄を掴んだ。いつの間にか落としていたのだ。
「行ってきます!」
 振り向かずに玄関を駆け出す。
 逃げるように走り去っていく柊子の背を見て、影虎が苦笑した。
「くくく、かわええもんじゃのう」
「影虎」
 イナクタプトが影虎を睨む。
「何か言ったのか」
「別に。わしらの常識を教えたったぐらいじゃ」
 影虎がイナクタプトを睨み返す。張り詰めた緊張感に、影虎が太刀に手を伸ばした、その時。
「うぉーい、おはようさん」
 源次郎の欠伸混じりの挨拶が二人の間に割って入った。ぼりぼりと腹をかきながら、玄関に歩み寄る。
「おはようございます」
「おおう」
 イナクタプトの挨拶に鷹揚に返事をした源次郎は、サンダルも履かずに外に出た。玄関から数歩のところにある郵便受けから、新聞を取り出す。
「ふん」
 その背を見た影虎がにやりと笑う。その笑みはやはりどこか挑戦的で、好戦的だった。


 その日、柊子は一日中うわの空だった。
「戦人から鎧を剥ぎ取り刀を奪い――」
 影虎の言葉が耳から離れない。
 怖かった。
 香るはずのない血の匂いがした気がする。
 怖かった。
 自分を抱くように腕を回し、ぶるりと身震いしても、身にまとわりついた冷徹な気配を捨て去ることはできない。
 でも……
 柊子は顔を上げた。
 唇を固く結び、心に誓う決意をひとつ。
 それは放課後になっても、家に帰っても、揺らぐことはなかった。


「刀は、持っちゃダメ」
 家に帰るなり、開口一番柊子はそう言った。
 居間でくつろいでいた影虎が、膝を立てて乱雑に座りなおす。
「ほう?」
 影虎が不敵に微笑む。イナクタプトが無言で影虎を睨んだ。態度を改めろと言いたげだ。
「それでいいんか?」
 ちゃり、と影虎が太刀に手をかける。柊子は、影虎を真正面から見据えて言った。
「ここでは、誰も傷つけちゃだめなの。もし、影虎が他の誰かを傷つけたら、それはやっぱりあたしの責任。だから」
 柊子は息を詰めた。
 決めていたこととはいえ、言うには勇気が要る。
 影虎の視線が痛い。
 できることならこの場から逃げ出したいと柊子は思った。
 でも……
 影虎を呼んだのは、自分だ。だから。
 拳を握り締める。息を吸うと、柊子は一気に言葉を吐いた。
「どうしても刀を持ちたいって言うなら、誰かを傷つける前に、あたしを斬りなさい」
「よう言った!」
 影虎が膝を立てると同時に太刀を抜く。
 白い閃光が自分に向けて駆けて来るのを見て、柊子は目を瞑った。
 全身を強張らせる。
 それでも、痛みは来なかった。
 恐る恐る目を開ける。
 影虎の太刀が、自分のすぐ目と鼻の先で止まっていた。そうして、見覚えのある腕が視界に入る。
「イナクタプト!」
「影虎、遊びが過ぎるぞ」
 イナクタプトは、柊子の後ろから回したその腕で影虎の太刀を防いでいた。イナクタプトの肌に深く濃い影を落としながら、影虎の太刀が止まっている。触れる直前にとどまっているようだった。
「くっ」
 影虎の唇が笑みの形に歪む。
「あっはっはっは、よう言ったよう言った」
 唖然とする柊子の前で、影虎は太刀を鞘に収めた。
 それを柊子の目の前に突き出す。
「ええじゃろう。これはあんたに預ける」
「え、でも」
「なーに。物見遊山だとでも思えばいいじゃろ。飽きたら帰るけ。な、イナクタプト」
 快活に笑う影虎に気圧されて、柊子は影虎の太刀を受け取った。その重さに驚きながら、影虎を見上げる。
「あの、言いにくいんだけど……」
「ん?」
 顎を撫でながら影虎が柊子を振り返った。
 数秒後。
「なにぃ!? イナクタプトの召喚陣を忘れたああ!?」
 影虎の叫びがご近所に木霊した。
「だ、大丈夫だよ。影虎のは覚えてるから、でも……」
 柊子がイナクタプトをちらりと見る。
 腹を抱えて笑い転がる影虎を前に、イナクタプトは静かにため息をついていた。


【召喚3:影虎・END】
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