まぜまぜダーリン

 朝というのはこんなに騒々しいものだったろうか。
 まだ眠気の余韻の残る頭で柊子は思考した。
 いつもなら源次郎と二人きり、おはようの挨拶を交わし、どちらからともなく今日の予定を告げ、それぞれ学校へ仕事へと向かう。賑やか、とは言いがたいが、殺伐としているわけでもない、ありきたりな光景だった。
 それも、ついこの間までの話だ。
「柊子、おかわり!」
 影虎が無遠慮に茶碗を突き出す。これで何杯目だろうか。柊子は呆れながら茶碗を受け取った。
「ここは飯がうまくていけんの。食いすぎるわ」
 楊枝をくわえながら、影虎が満足そうに腹をさする。柊子は、その隣に座るイナクタプトに声をかけた。
「イナクタプトは?」
「いいえ」
 静かにごはんを口に運びながら、イナクタプトは答えた。本当に少食なのだと、柊子が感心する。それとも、影虎が大食らいなのかもしれない。
「おとーさまも構えよ」
 影虎にご飯を渡した瞬間、源次郎が茶碗を突き出した。
「ああ、ごめんごめん!」
 慌てて柊子がご飯をよそう。はた、と柊子のしゃもじが止まった。
「……おとーさん、おかわりするなんて珍しいね。昔はよくしてたけど」
「おう」
 ばさりと新聞を畳んだ源次郎が、影虎とイナクタプトを見た。
「若いモンにゃ、まだまだ負けらんねーってな」
 豪快に笑い出す源次郎に、柊子は肩をすくめた。


召喚4:「ロメオくん(四さい)」


 折角の物見遊山なのだから、あちこち見て回りたいという影虎の要望に従って、柊子たちは駅前の繁華街に来ていた。
「ほうほう、ほうほう」
 ウィンドウのひとつひとつを影虎が興味深そうに覗き込む。この冬空に着流しとはどういう神経だろう。見ている柊子のほうが寒かった。
「ねえ、影虎、寒くないの?」
「こんぐらい寒さのうちに入らんき」
 なあ、イナクタプト、と影虎がイナクタプトを振り返る。イナクタプトはきっちりとコートを着込んでいた。
「……お前の感覚はおかしい」
 イナクタプトが答えると、影虎はわざとらしく顔をしかめた。
「はー、しかしこの世界は賑やかじゃのう。人はぎょーさんおるわ、なんやら明るいわ」
 影虎がぐるりと周囲を見渡す。
「そうなの?」
 柊子が小首を傾げた。
「おうおう。今までで一番殺伐としとったのは、こう、空も大地も紫が混じったような黒での。木なんか生えながらにして炭になっちょる。もう獣の一匹もおらん。そんなになっても人は争うんじゃのう」
 影虎が顎をさすった。思わず柊子が足を止める。
 荒涼とした世界、そこで太刀を抜く影虎が、一瞬見えた気がした。
『召喚に応じ参上した。倒すべき敵はどこか?』
 すっかり忘れていた。イナクタプトも影虎も、本来であれば戦場に呼び出されるべき存在なのだ。
 悪いことを聞いたかもしれない。
 うつむく柊子の頬を影虎がつついた。
「ん? どした?」
「あ、ううん」
 我に返った柊子が頭を振る。影虎がにぃっと勝気な笑みを浮かべた。
「お前さん、今くだらんこと考えたろ」
「そ、そんなこと……っ」
「顔でまるわかりじゃき。若い若い」
 からからと影虎が笑い飛ばす。下駄の音まで柊子をからかっているようだった。
「もう! 影虎!」
 柊子が真っ赤になって抗議する。影虎は構いもせずに気ままに歩き回っている。
 小鼻を鳴らした柊子は、イナクタプトを振り返った。
「イナクタプトも、いろんな世界に行ったの?」
「ええ、まあ」
 イナクタプトは遠慮がちに頷いた。
「ですが」
 その金色の瞳が細められる。
 召喚されるのは、大抵が戦場の只中だった。召喚士が魔方陣を描き、そこに戦士が召喚される。瞳を開いた瞬間、現れる異世界。
「我が名において命ず。かの敵を滅せよ!」
 召喚士の命ずるままに剣を振るい、敵を倒す。どちらが正義とも悪とも確認したことはない。そして――
「ですが?」
 柊子が不思議そうにイナクタプトを見上げる。続く言葉を言うべきだろうか。イナクタプトがためらっている間に、影虎が大声で叫んだ。
「おおお、柊子、これはなんじゃ?」
 見れば、大型テレビに映し出されたライオンを指差している。
「もー、大声出してなによ。それライオンって言うのよ」
 片耳を押さえた柊子が影虎に駆け寄る。
「ほほう、ライオンかぁ。ええのう、このふさっとした毛並み」
 影虎はその形態が気に入ったようだった。
「肉食で、凶暴なのよ。このあたりだと動物園ぐらいにしかいないけど」
「動物園?」
 影虎が聞き返す。
「オリの中に動物を入れている場所よ」
 柊子の説明に、影虎は怪訝な顔をした。
「柊子、嘘はいかん」
「嘘じゃないってば」
「だってそこにおるじゃろが」
 影虎が顎をさすっていた手で、柊子の後ろを指差す。
「え?」
 柊子が振り返る。
 距離にして百メートルほど先が騒がしい。逃げ惑う人々の間に、確かにライオンらしき獣の姿が見えた。
 頭が真っ白になる。
 周囲の人々の悲鳴が遠のき、やがて柊子の耳にテレビの音が聞こえてきた。
「臨時ニュースです。にこにこ動物園からライオンのロメオくんが逃げ出しました。ロメオくんは、オス・四さい。周辺にお住まいの方は十分ご注意を――」
 遅い……!
 柊子は心の中で突っ込んでいた。
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