まぜまぜダーリン

召喚5:「トーコ・ナカガワのかけら」

 空はすみずみまで晴れ渡り、春に向けて気温は上昇しつつあった。絶好の行楽日和である。
「でかけるんなら、こんな日がいいよね」
 お弁当を入れたバスケットを持った柊子が、気持ち良さそうに伸びをした。動物園なんて何年ぶりだろう。子供の頃、源次郎に連れられてきて以来だ。日曜の朝、起き抜けに動物園に行きたいと言った柊子を、源次郎は快く送り出した。
「ナイトが二人もついてりゃ十分だろ。俺は仕事があるから、ゆっくり楽しんできな」
 お土産を買って帰ろう、と柊子は思った。ここに源次郎の好むような物があればの話だが。
 ようこそ、と書かれたゲートをくぐる。
「柊子、荷物を」
 イナクタプトが手を伸ばした。家を出てから何度そう言われたかわからない。柊子は少し考えるそぶりを見せた。
「うーん」
 手にしたバスケットをしげしげと眺める。
 中に入っているのは、三人分のお弁当。それから、ビニールシート。
 普段の学校への荷物を考えれば、別にそんなに重いわけじゃないんだけど。
「自分で持ってたほうが、気が楽なのかな?」
 半ばひとりごちるように、柊子が呟いた。
「御意」
 イナクタプトが頭を垂れる。
「うーん。じゃあ、お願いするね」
 差し出されたバスケットを、イナクタプトはうやうやしく受け取った。
「ほうほう、これが動物園か」
 着流しをなびかせた影虎が、興味深そうにあちこちの檻を覗く。親子連れやカップルで賑わうこの場所で、その服装はまたも完全に浮いていた。
「遊びに来るって約束しちゃったから」
 柊子が唇を尖らせた。どこかバツが悪そうだ。
 先日、湯船召喚したロメオくんを即返還したのは記憶に新しい。
「あ」
 ライオンの檻を見つけた柊子が駆け寄る。とても立派な黄金の毛並みを持つライオンのロメオくんは、檻の片隅でくつろいでいた。柊子達を見つけて、ゆっくりと起き上がる。
「来たよ」
 柊子が囁いた。ロメオくんが嬉しそうに目を細めて喉を鳴らす。その頬に、うっすらと痣があるのを柊子は見た。刻まれた紋様は「丁」の形に似ている。
「あれ?」
 慌てて後ろに控えているイナクタプトを見上げる。イナクタプトの頬に刻まれた紋様、それと性質が似ている気がしたのだ。
「柊子?」
 小首を捻る柊子に、イナクタプトが気付く。座り込んで、もう一度檻の中のロメオくんを見た柊子は、真っ青になった。
「ど、どうしようイナクタプト。ロメオくんのほっぺのあれ、あたしのせいだよね?」
「ほっぺのあれ?」
 聞き返したイナクタプトが、ロメオくんの頬を見やった。
「ああ」
 柊子の不安を察してか、わずかに頷く。銀色の長髪が、さらりと揺れた。
「あれは、契約印ですね。召喚士や我々召喚対象者といった関係者にのみ視認できるものです」
「じゃから他のヤツには見えんのじゃ」
 いつの間にか柊子達のところに追いついた影虎が後をつぐ。
 柊子が見上げると、影虎は口の端を吊り上げて笑った。どことなく好戦的なのは、性格のせいだろう。
「それが知りたかったんじゃろ?」
「う、うん」
 頷いた柊子が立ち上がる。
 そういえば、以前イナクタプトが学校に柊子を迎えに来た際、先輩達は頬の紋様に触れなかったことを思い出した。暗くて見えなかったのだろうと思っていたが、違うらしい。
「そっか。見えないのか」
 納得したように柊子が呟く。空は青く、ロメオくんはご機嫌だった。


 動物園の隣には、大きな公園があった。春になれば桜が咲き乱れ、行楽客で賑わうという。まだ時折薄ら寒い風が吹くせいか、桜はつぼみのままだった。
「ここらへんでお昼にしよっか」
 なだらかな芝の上に、柊子がビニールシートを広げる。
 朝から早起きして作ったお弁当は、柊子にしては会心の出来栄えだった。
 厚焼きたまごにから揚げ、たこさんウィンナーにマカロニサラダ、昨日の残りの佃煮に、おにぎりとフルーツなどなど。
 それらを飲み込むように影虎が豪快に掻きこむ。小分けにかつ大人しく口に運ぶイナクタプトとは、いつものことながら見事な好対照だ。
「影虎、ごはんは飲み物じゃないんだけど」
「似たようなもんじゃ、細かいのぅ」
「影虎」
 たしなめるようにイナクタプトが言う。影虎は面白くなさそうな顔をした。
「はー、しかし、召喚印も知らんとは。お前さんは本当になんも知らんのじゃのう」
 箸をくわえたまま柊子を顎で指す。柊子は少しむっとした。
「仕方ないじゃない、そんなの。大体人の家のお風呂に土足で出てくるような人に言われたくない」
 柊子の言葉に影虎は目を丸くした。次の瞬間、耐えられないというように大声で笑い出す。
 道行く人が振り返るほどの哄笑に、柊子は赤面した。
「な、なにがおかしいのよ!」
「笑いすぎだ。影虎」
 イナクタプトが制する。
「だって、お前さん、なんも言わんかったんか」
 目尻の涙を拭いながら影虎が言う。イナクタプトの肩に手を置き、それでもまだ足りないらしく柊子から顔をそむけて笑い続けた。
「もう! 影虎」
 柊子が頬を膨らませると、影虎はようやく収まった。
「いや、すまんすまん。けどな、柊子」

「風呂場なんかに呼ばれたのは、わしも初めてじゃ」

 柊子の目が丸くなった。
「え?」
「だって、そりゃそうじゃろう。わしらのような生業の人間を、何が悲しゅうて風呂に呼ぶんじゃ」
「だ、だって」
 柊子が慌ててイナクタプトを見やる。
 はっきりと目があい、逃げ場がなくなったと思ったのだろう。イナクタプトは観念したように告げた。
「通常は……戦地に召喚されます」
「戦闘真っ只中も珍しくないのぅ」
 からからと笑い声を上げながら、影虎が言った。膝を立て座りなおすと、改めて柊子に向き直る。
「そんなんは基本中の基本じゃきに」
「だって」
 柊子はすねたような顔をした。入魂のお弁当が、なんだか味気ない。
「召喚、なんて知らなかったし。おとーさんは、お母さんが召喚士だったって言ってたけど」
 お母さんのことも知らないし――…という言葉を飲み込む。
「母親が召喚士?」
 影虎が何かを思い出すように顎をさすった。
「柊子、しゅうこ……なかがわ、しゅうこ。ああ!」
 合点が言ったというように、ぽんと膝を叩く。
「お前さん、トーコ・ナカガワの娘か!」
 がははと笑う影虎の前で、柊子は硬直した。周りの雑音が急速に遠のいた気がする。
「……え……?」
 一枚だけ残されていた、母と赤子の頃の自分の写真。その裏に書いてあった言葉。
『冬子と柊子』
 それが母の名前なのだろうと思った。けれど。
「冬子は、おかーさんの名前だけど……なんでそれを影虎が知ってんの?」
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