まぜまぜダーリン

「なんでもなにも、召喚されたことがあるき」
 影虎がなんでもないというように言った。くわえていた箸を持ち直す。どうやらまだ食べ続ける気らしい。
「影虎、おかーさんに会ったことあるの?」
 柊子は思わず身を乗り出した。はずみで、傍にあった弁当箱がひっくり返る。えびフライや厚焼き玉子が宙を舞った。
「ああっ!」
「おいおい、柊子!」
「お怪我は」
 即座にイナクタプトが柊子の服の裾を払う。影虎はと言えば、シートに落ちたおかずを次々と口に放り込んでいた。
「ふぅん」
 水筒の麦茶で喉を潤しながら、しげしげと柊子を見つめる。その視線は、まだなにか言いたげだった。


 土産として渡されたあみぐるみのライオンキーホルダーを見て、源次郎はなんとも言えない顔をした。
「こりゃ可愛いな」
 四十を過ぎ、五十に手の伸びかけた男のどこにこれを纏う余裕があるのかと言いたげだ。
「だって動物園だもん。おつまみも売ってないし」
「だろうなぁ」
 柊子の言葉に頷きながら、盃を傾ける。
「そういえば、おとーさん」
「なんだ?」
 柊子が源次郎の隣に座った。
 なんだか妙に緊張する。母について触れるのは初めてだ。源次郎のリアクションが怖いような気がした。
「影虎が、お、おかーさんに会ったことあるって」
「なんだと?」
 源次郎の顔つきがにわかに厳しくなった。すぐさま立ち上がり、庭にいた影虎に手を振る。
「おーい、影さん、呑もうや!」
「お、おとーさん」
「なんだ柊子。そろそろ勉強でもしてきたらどうだ?」
「ち、ちょっと」
 有無を言わせぬ力で、源次郎が柊子の背を押す。居間を一歩出たところで、すみやかに扉が閉められた。中からは源次郎の笑い声が聞こえる。
「ま、積もる話もあるだろーし、ささ、一杯」
「お、すまんの」
 二人の呑気な会話に、ぶるぶると柊子の肩が震える。
「なんなのよ……」
「柊子?」
 殺気を感じたのだろう。イナクタプトが駆けつけてきた。
 あれだけのことを聞くのに、一体どれだけ自分に勇気が必要だったと思っているのか。柊子はきっと視線を上げた。
「おとーさんの馬鹿ぁ!」
 居間の扉を思い切り蹴る。家全体が、少し揺らいだ。
「おお」
 振動で起きた盃の中の波紋に、影虎が感心する。
「怒っとるのぅ」
「年頃だからな」
 我関せず、と言った風情で源次郎が盃を飲み干した。その顔を、影虎がじっと見つめる。
「なんだ?」
「柊子がトーコ・ナカガワの娘、言うことは……」
 影虎は最後まで言葉にしなかった。ただ、目の前の酒に視線を落とす。透明度を保った日本酒は、ゆらゆらと電灯を映していた。その光に、影虎が目を細める。
「老けたの」
「そりゃそーだ」
 男二人はそれ以上何も言わず、ただ酒を飲み交わしていた。


 自室のベッドに腰掛けた柊子の足元に、イナクタプトが膝をついた。かがむようにして、柊子の足を手に取る。やや赤味を帯びた足の裏を見て、イナクタプトは眉をひそめた。
「痛みますか?」
「別に」
 そういう柊子は涙目だ。
「おとーさんてば、いっつもそうよ。大事な話ははぐらかして」
「柊子」
 痛むのは足ではないらしい。察したイナクタプトは、柊子の足をそっと床に戻した。腰を落としたまま、柊子を見上げる。
「源次郎殿には源次郎殿のお考えがあるでしょう」
「けど」
 柊子は押し黙った。言いたいことはたくさんあるのに、ありすぎて言葉にならない。
 しばらくの沈黙の後、柊子はぽつりと口を開いた。
「……イナクタプトも、あるの?」
「は?」
「おかあさんと、会ったこと」
 拗ねた子供のような目で見られ、イナクタプトは困惑した。なにか上手いなぐさめの言葉でも口から出せればいいのだが、全く以って浮かばない。下手なことを言えば、この小さな少女は泣き出すのではないか。結局口から出たのは、いつも通りの武骨で愛想のない答えだった。
「いえ、私は」
 イナクタプトが膝の上で拳を握り締める。
「そっか」
 少し残念そうに柊子は俯いた。
「しかし、名を聞いたことはあります。いえ……」
 イナクタプトは言い直した。
「私の世界で、その名を知らぬ者はおりません」
 あの暗い世界で響く光の名。口にする誰もがそこに敬愛を込める。


「トーコ・ナカガワは、数ある召喚士の中で、唯一私の世界で戦い続ける女性です」


 イナクタプトの金色の瞳が、まっすぐに柊子を見つめる。
 その瞬間、柊子は会ったこともない母の姿を垣間見た気がした。


【召喚5・END】
Copyright 2007 mao hirose All rights reserved.