まぜまぜダーリン

 事件が起きたのは、その日の午後である。
 近所のスーパーに買い物に行った。希望通りの食材を揃え帰路につく、までは良かった。
「イナクタプト、あたしも一つ持つってば」
「いいえ」
 両手にスーパーの袋を提げたイナクタプトは、何度言っても頑として柊子に荷物を渡そうとはしなかった。
 この世界に来てから、幾度となくそういう衝突はあった。学校に鞄を持っていこうとされた時は全力で拒否したし、その後も度が過ぎた対応をされる度に、「ここではこうしてほしい」という要望を伝えてきた。イナクタプトは反論することもなくそれに従ってきたのだが。
 しばらくたったある日、そんなやりとりを小耳に挟んだ源次郎がぼそりと呟いた。
「一人異世界にいて、生活文化全否定されちゃあ、イナさんも可哀想だねぇ」
 ぐ、と柊子は詰まった。
 反論したいことは山のようにあったけれど、確かにそうだと納得する自分もいて、どうにもこうにも言葉にならない。源次郎の背中をきっと睨む。意に介さぬ様子で、源次郎は新聞を広げた。独り言だと言いたげだ。
 それから、ちょっとだけ、柊子は譲歩するようになった。
 例えばこういった買い物の荷物持ち。今まで人任せにした経験などないため、どうにも居心地が悪いのだが、それでイナクタプトの気が済むならと任せることにした。
「でも、両手一杯の時ぐらい、頼ってくれていいのに」
「こんなもの重さのうちに入りません」
「好きにさしときゃええに」
 欠伸を噛み殺しながら、影虎が呟いた。肩には米袋がしっかりと抱えられている。デパートの試食コーナー大好きな彼は、スーパーにも同様の期待をして訪れたらしかった。もう来ないぞという決意が、表情から垣間見える。
 柊子が肩をすくめたその時だった。
 道の先に、人だかりが見える。いつも柊子が使っている通学路だ。
「なんだろう?」
 柊子が近づくと、子供の泣き声が聞こえた。
「排水溝の蓋が割れて、子供が落ちたみたいだぜ」
「暗くて見えねーよ。おい、誰か消防に連絡したのか」
「親どこ行ったんだ? 一人か?」
「穴が小さくてダメだ。肩までしか手が入らない」
 騒然とする人混みの間から、件の排水溝が見えた。本来コンクリートの蓋がされていたのだろう。ヒビが入り、一部が欠けている。ちょうど子供がすっぽり入るぐらいの大きさだ。
 そこへ大人が何人か、顔を近づけて叫んでいた。子供を励ましているらしい。
 穴の大きさを見た柊子が、自分の肩と腰に触れた。
「柊子?」
「イナクタプト、足押さえてて」
 あの大きさなら、上半身を滑り込ませることぐらいできそうだ。
 羽織っていたフードを脱ぎ、Tシャツ一枚になると、影虎が口笛を吹いた。
「あたし、やってみます」
 穴の周りにいる大人たちに声をかける。
 初め唖然とした彼らは、柊子と穴を代わる代わるに見て、「無茶はするなよ」と言いながら場をあけた。
 道路に膝を着く。うつぶせて、指先からゆっくりと穴の中に手を差し入れた。
「今おねーちゃんがいくからね」
 子供に声をかけたが、泣き止む気配はない。声からすると、女の子のようだ。
 頭をくぐらせると、中途半端に欠けたコンクリートで背中が擦れた。ちりちりした痛みに顔をしかめる。
 穴の中の空気は湿気が多く、カビ臭かった。パラパラと落ちてくる砂で、うまく息ができない。決意して目を開けても、柊子の体自体が蓋の役目をしていて、ほとんど闇に近かった。
「おねーちゃんの場所わかる? 手、届くかな?」
 あたりを探るように、手を回す。子供の髪の先に、一瞬だけ触れた。
「あ」
 息の限界を感じ、一旦身を起こす。外は日の光が眩しく感じられた。
 少しむせながら深呼吸を繰り返す柊子に、イナクタプトが耳打ちした。
「柊子。私が」
「イナクタプトじゃこの穴は入れないよ」
 柊子はくすりと笑った。それに道路だって、壊しちゃいけないしね、と付け足す。
「髪に触れたんだから、手を伸ばしてくれれば引き上げられると思う。もう一回やってみるね」
 埃まみれになった顔を拭いながら、柊子は空を睨んだ。本当は、泣き止んでくれればいいんだけど、と心の中で呟く。どんなことを言えば泣き止んでくれるのか、皆目見当もつかない。
「子供の泣き声がしたわ! これはお母さんを呼んでいるわね! 間違いないわ」
 確信に満ち満ちた声で、里中さんが現れた。あまりに堂々とした風情に、誰かが声をかける。
「あんた、この子の母親か?」
「うちは二十歳の馬鹿息子が一人よ。こんな可愛い盛りの子はいないわ。あら、柊子ちゃん!」
 穴の傍に座った柊子を見て、里中さんが輪の中心にやってきた。
「おばさん」
 柊子が呆けたような声を出す。
「あらあら、ここに落ちちゃったのね」
 里中さんはしげしげと穴を見つめた。
「手は届くんです。さっき髪に触ったから。……手を、伸ばしてくれれば」
 柊子が悔しそうに唇を噛んだ。なんだか里中さんの顔を見たら、泣きたくなってくる。
 なんでこのぐらいのこともできないんだろう、あたしは。
「あらそれなら柊子ちゃん、おばさんに任せればいいわ」
 里中さんがふくよかな胸を叩いた。ついでに腹がたぷんと揺れる。
「おじょーちゃん、これからおねーさんがもぐるからねー。おかーさんももうすぐ来るよー」
 里中さんが穴の中に向けて話しかける。
 それまで泣きじゃくっていた声が、ぴたりと止んだ。
「おかーさん?」
「そう、おかーさん。もうすぐ来るわよー、よかったねぇ」
 にこにこと話しかける里中さんを、柊子は信じられない面持ちで見つめた。里中さんが一言声をかける度に、子供が落ち着いていくのがわかる。
「すごい」
「ほら、柊子ちゃん、今よ」
 里中さんがウィンクする。柊子は慌ててもう一度身を伏せた。
「おねーちゃんが行くからねー。手を伸ばしてごらん」
「おねーちゃんだよ〜」
 里中さんの声にあわせて、柊子が穴の中に身を差し入れた。
 祈るような気持ちで、手を伸ばす。そこに、小さな指先が触れた。
「おかーさんのとこに、帰ろう?」
 柊子が言う。暗闇の中、子供が頷くのが見えた気がした。


 家に帰り体を洗うと、ようやく柊子の体から力が抜けた。
 あれから手を伸ばしてきた子供をしっかりと抱え、穴の外に引っ張り出すことができた。頬や脇、背中に擦り傷ができたけど、それぐらいどうってことない。
「ちっちゃかったな〜」
 指先に触れた小さな手の感触を思い出すように、柊子は自分の掌を見つめた。
 あの子は三歳ぐらいだろうか。母親が目を離した隙に外出してしまったらしい。慌てて駆けつけた母親に、もの凄い勢いで感謝され、逆に柊子が恐縮してしまったほどだ。
 母親としっかり手をつないで、柊子に手を振った姿が忘れられない。
「おかーさん、か」
 懐かしい、けれど身に覚えのない、他人事のような響きの言葉。
 会いたいな。
「あはは、こんな気持ちで混ぜたら、おかーさん呼んじゃうかもね」
 一人照れてはにかんだ柊子が、かきまぜ棒を手に湯船を混ぜる。
 その瞬間、黄金の光が湯船に満ちた。
「う、うそ!? 本当に!?」
 驚く柊子の前で、光が渦となり、魔方陣が現れる。その中央にうずくまるシルエットに、柊子は見覚えがあった。
「あああああ! おばさん!」
 その正体を知った柊子が悲鳴を上げる。
「あら! 柊子ちゃん! 昼間はどーも!」
 今の大声は驚愕度百点満点ね! と里中さんは微笑んだ。

【現在の柊子の召喚対象】
・イナクタプト
・隣の変態・佐藤さん
・影虎
・ロメオくん
・悲鳴鑑定士・里中←NEW!!

 この面子が一体なんの役に立つのか、定かではない。


【召喚6・END】
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