まぜまぜダーリン

 こぽこぽと音を立てて、湯飲みへと茶が注がれる。
「ほれ」
 柔らかな匂いを放つ緑茶を、源次郎が差し出した。
「……どうも」
 目の前に置かれたお茶を見た蘭蘭が頭を下げる。
「ほれ、イナさんも」
 源次郎が笑ってイナクタプトの前にも湯呑みを置いた。
「……申し訳ない」
「いやー、仕事早めに終わって帰ってきたら、風呂場でバトル始めようとしてるんだもんなー。おとーさん驚いちまったよ。な、柊子!」
「う、うん……」
 がはは、と陽気な声をあげる源次郎に、柊子はあいまいに頷いた。
 あの緊張感漂う浴室に乱入してきた源次郎は、あっという間に二人を居間に連れ去ってしまった。テーブルを挟んで座らせ、お茶を出し、現在に至る。
 確かに自宅の風呂場での流血は避けたいところだ。しかし。
 柊子はお茶をすすりながら、そっと二人の様子を垣間見た。
 相変わらず張り詰めた糸のような緊張感が漂っている。
「はあ、それにしてもまた、今度はかわいいお嬢さんだな」
 蘭蘭の姿を見た源次郎が頷く。
 やるじゃないかと、よくわからない褒められ方をした。
「違うの。あたし、呼んだわけじゃ……」
 かきまぜ棒を手にしていないのに、浴槽から出てきた。それでも、柊子が呼んだことになるのだろうか。
 柊子がちらりと蘭蘭を見やる。それだけで、蘭蘭は不愉快そうな顔をした。
「蘭蘭、自分で来た」
「え?」
「私の眷属です。眷属にあたる者は、主のいる世界へと自由に行き来できます」
 柊子の疑問を汲み取ったイナクタプトが補足する。
「だが、待機を命じたはずだな?」
 イナクタプトの視線が蘭蘭を捕らえる。蘭蘭はふてくされたように顔をそらした。
「イナ様迎えに来た。それだけ」
「蘭蘭」
 イナクタプトがたしなめるようにその名を呼んだ。蘭蘭の鋭い視線が柊子に向けられる。彼女は耐えかねたように立ち上がった。
「蘭蘭、待った! イナ様仕事、仕方ない! だから待ってた! でも!」
 びっ、と音がしそうな勢いで柊子を指差す。
「蘭蘭、聞いたね。イナ様戦ってない。してるのは荷物持ち! 昼寝! なにかといえばお話聞いて終わり! 今度の主はそんなのさせてる! 蘭蘭、許せない!」
「え、いや、それは……」
 柊子はうろたえた。確かにそう言われてしまえば、身も蓋もない。
「誰に聞いた」
 蘭蘭に気圧されることなく、イナクタプトは茶に口をつけた。
「影虎サマ」
 小鼻を鳴らしながら蘭蘭が答える。やはりあいつか、とイナクタプトがため息をつく。限りなく深いため息だった。
「私は昼寝などしていない。今までと変わらず主の言葉を命とし、その身を守っている。この世界に外敵がいないだけだ」
 だいたい昼寝をしていたのは影虎だ、とイナクタプトは付け足した。
「それ問題違う!」
 蘭蘭がテーブルを叩いた。
「今、蘭蘭たちの世界とても大変ね。戦士たくさん必要。なのに、イナ様いない。蘭蘭、我慢した。けど……!」
 蘭蘭の漆黒の瞳が柊子に向けられると同時に、柊子の目の前に手が突き出された。
「イナ様返して!」 
「蘭蘭」
 つかみ掛かりそうな気配を察してか、イナクタプトは口を開いた。
「柊子に手を出すな」
 淡々と、しかし有無を言わせぬイナクタプトに、蘭蘭がくやしそうに歯噛みした。
「やー、にぎやかだな!」
 あっけにとられる柊子をよそに、源次郎が豪快に笑い出す。その右手には、すでに酒瓶が握られていた。


 憮然とは、こういう表情のことを言うのだ。
 柊子は目の前に座る蘭蘭の顔を見てそう思った。
「まあ、ほれ、蘭蘭ちゃんもごはん食べな」
 夕食のサンマにかぶりついた源次郎が蘭蘭に笑いかける。蘭蘭はむっとしたまま目をそらした。
「蘭蘭」
 イナクタプトに言われても、ぷいと顔をそらす。その腹が、くうと音を立てた。
「ほら、おなかすいてるんでしょ?」
 柊子が言うと、歯軋りの聞こえそうなほど睨みつける。さっきから何度これを繰り返しただろう。
 イナクタプトが静かに息を吐き出す。その服の裾を掴んで、蘭蘭は小さく呟いた。
「イナ様、帰ろう……?」
「あ、あのね」
 イナクタプトは帰りたくても帰れないのだ。柊子が召喚陣を忘れたせいで――
 その説明をしようとした柊子を、イナクタプトが目で制した。
「私が好きでいる。お前は口を出すな」
 一瞬イナクタプトを見上げた蘭蘭は、悲しそうに俯いた。席を立ち、ふらふらと庭に向けて歩き出す。
「蘭蘭ちゃん」
 柊子がその背を追いかけた。
「来るな、お前キライ」
 庭の木立の間に星が瞬いている。蘭蘭は夜空を仰いだ。
「このセカイがスキ……?」
 イナクタプトの言葉を反芻しているようだ。
「蘭蘭、イナ様の眷属。心がつながっているからわかる。イナ様、嘘言ってない」
 蘭蘭は庭の木に手をついた。
「帰ってきて欲しい。蘭蘭のわがまま――」
 なんて寂しそうに言うんだろう。柊子の胸がぎゅっと痛んだ。柊子と変わらないぐらいの年の女の子。背だって少ししか違わない。今だって、庭の木に触れた指の細いこと。ばりばりと音をさせて幹をへし折るぐらいに……
「え?」
 柊子は目を疑った。
 源次郎が気に入っていた松の木。直径十五センチほどもあるその幹が、蘭蘭の手の中で音を立てながら変形していく。
「蘭蘭、わがまま、結構!」
 ばきんと音を立てて、松の木が二つに折れた。
 蘭蘭は、なにか決意したらしい。
 それだけは、柊子にもよくわかった。



【召喚9・END】
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