まぜまぜダーリン

 それは、イナクタプトが戦士として独り立ちする直前の頃だった。
 彼らの世界では、独り立ちの際、一人前の戦士の証として、ひとつだけ眷属を指名することができた。意思を持ち、主に仕え、その助けとなるべく世界を共に渡り歩く相棒にも等しき存在である。
 竜を従える者、翼を纏う者など、皆が特性にあわせた眷属を手に入れる。
 イナクタプトは、治癒系を得意とする小妖精を手に入れるつもりで魔法小屋の扉を開けた。みずぼらしく朽ちた外観にふさわしく、店内は薄暗かった。石造りの小屋のあちこちに苔が生えている。狭いと思われた店内は、螺旋状の階段が渦巻き、どこまでも地下に続いていた。
「なんじゃこりゃあ」
 先の見えない階段を覗き込んだ影虎が呆れたような声をあげる。
「魔法で店内を拡張しているのだろう。主、小妖精はどこだ」
「マイナス二千五百二階じゃのう」
 埃を被った翁像が答えた。この像、店主の形を模していて、魔法で動くようだ。
 ほいきた、と階段の中心に飛び込もうとした影虎の襟首をイナクタプトが掴む。
「送ってくれ」
「かしこまりました」
 翁像の目が光る。次の瞬間、彼らは目当ての階にいた。
 初めに彼らが立ち入った一階と同じ、朽ちかけた店内。違うのは、妖精たちの光がまたたいていることだ。檻に入れられた妖精たちはアピールするかのようにその羽をはばたかせていた。
「ほお……」
 店内に囲われた妖精たちの姿に影虎が感嘆の声を漏らす。
 イナクタプトはそれに構わずにさっさと目当ての妖精を探しにかかった。
「妖精っちゅーのがおるとは知っとったが、こげに綺麗な光を発するもんじゃったか」
 七色の光を放つ妖精の檻に影虎が魅入る。
「お前の眷属にしたらどうだ」
「わしはもう決めちょる。錦鯉のコイケくんじゃ」
 ちょうど庭におったからと影虎は豪快に笑い飛ばした。
「眷属じゃろうがなんじゃろうが、戦の邪魔なんぞされたら堪らんき。わしはわし一人で十分じゃ。まあ、コイケくんなら腹の足しにもなるじゃろうて」
「そんな理由で眷属を決めるのはお前ぐらいだ」
「わしのオヤジもそうじゃ。椎茸のゲンボくんじゃぞ。わしよりひどいわ」
「……お前の一族ぐらいだ」
 深いため息をついたイナクタプトが、さらに奥へと進む。途中、小さな檻に入れられたグレートパンダがいた。すねるように檻の中で大の字になっていたグレートパンダの視界を、イナクタプトがよぎる。瞬間、グレートパンダは跳ね起きた。その腕力をもって檻を捻じ切り、イナクタプトを小走りに追いかける。そしてマントの端を掴むと、懸命に登りだした。その様を見た影虎が、誰にともなく口を開く。
「なんじゃ、ありゃあ」
「グレートパンダです。性格は温厚、主思いの種族ですが、一度怒ると巨大化し敵味方関係なく粉砕します。停滞した戦局を打破するのに有効です」
 これまた埃をかぶって片隅にいた翁像が答えた。
「檻を破っとるぞ」
 影虎が、すでにイナクタプトのマントをよじ登り、銀の甲冑に腰掛け、頬に懸命に頬ずりしているグレートパンダを指差す。うっとりと、まるで恋でもしているような表情だ。
「あれは特別でして。温厚がウリのグレートパンダにしては気性が激しすぎるのです。そろそろ処分しようかと」
「……処分……」
 それまでグレートパンダの好きにさせていたイナクタプトが呟いた。
 目の前には、目当ての小妖精が穏やかな光を放ちながら檻の中で佇んでいる。
「なんじゃ、ありゃいかんのか」
「いかんのです」
 影虎と主のやりとりが嫌でも耳に入る。
 イナクタプトは思案した。
 ここには、小妖精を買いに来たのだ。無用な情を出すのはよろしくない。
 そもそも、眷属選びは今後の人生を左右すると言っても過言ではないほど重要なものだ。己に不釣合いな超獣を指名して御せずに喰われた者、水が苦手なくせにシーホースを指名して溺れた者、イナクタプトが知っているだけでも、眷属選びで失敗した者は枚挙に暇がなかった。
 だからこそ、眷属選びに際してイナクタプトは熟考に熟考を重ねた。
 その結果が小妖精だった。幸いにも目の前にいる。
 手を伸ばそうとしたイナクタプトの耳に店主の声が響いた。
「眷属には掟があるでしょう。ひとつ、主に服従を誓うべし。ひとつ、主の影となり日向となり主を助けるべし……と。まだまだありますが、そのグレートパンダに守れるとはとてもとても。おかげで誰も買いません。食費も馬鹿にならないので、これはもう処分しかないと」
 ではなぜそんなものを店に置いているのだ――イナクタプトは店主を内心罵倒した。
「はあ、しかし処分なぁ」
 穏やかじゃないのう、と影虎が袂から出した腕で顎をさする。
「わしがコイケくんを指名する前じゃったら、あれでも良かったんじゃがのう。縁がなかったか」
 この男、小動物が好きなのか。
 幼馴染の意外な一面を見て、イナクタプトは懊悩した。グレートパンダは相変わらず頬ずりを続けている。小妖精の輝きが、自分を幻惑しているようだ。
 戦士として旅立つ。
 この日のために、剣を磨いてきたはずだ。
 迷うことなどない。
 なにも、ない――
 イナクタプトは目を閉じた。
「まあ、仕方ありませんね。明日にでも……」
「必要ない」
 店主の言葉をイナクタプトが遮った。
 無愛想な顔のまま、微笑みもせずに振り向く。
「これをもらう」
 肩に乗るグレートパンダを指差しながらイナクタプトは告げた。
 頬ずりしていたグレートパンダがぴたりと動きを止めた。次の瞬間、花でも咲かせんばかりに歓喜の表情を浮かべる。動揺し暴れたせいで、ぽてんと床に転がり落ちた。
 唖然としていた影虎が、イナクタプトを見てにやりと笑う。
「酔狂なヤツじゃ」
「お前に言われたくはない」
 床に座り呆然と見上げるグレートパンダに、イナクタプトは声をかけた。
「行くぞ」
 そのまま振り返りもせず、マントをなびかせる。その端を掴んで、グレートパンダは再びイナクタプトの肩によじ登った。


「……つまり、それが蘭蘭ちゃん?」
「変化をするというのは後で知りました」
 柊子が獣姿のままの蘭蘭を指差す。キーキーと唸り声をあげてイナクタプトの髪を好き勝手に引っ張っているあたり、彼女は相当怒っているらしかった。
「幸いにして忠誠心はあるのですが、いかんせん……」
 話している途中のイナクタプトの唇を思い切り引っ張る。無言になったイナクタプトが指を鳴らすと、蘭蘭は再び少女の姿へと変化した。
「イナ様、ひどい!」
「なにがだ」
 憮然とするイナクタプトをよそに、蘭蘭は柊子を睨みつけた。
「これで勝った思うな!」
 びしっと音がするかと思うぐらいに指先を突きつけ、宣言する。
 イナクタプトがその手を掴んだ。
「蘭蘭、無礼が過ぎるぞ」
「だってイナ様……」
「イナクタプト」
「は」
 柊子の声にイナクタプトは姿勢を正した。
「ごめん、あたし勘違いしてた」
「は?」
「女の子に優しくないって」
「いえ、それは……」
 柊子が微笑む。
「優しいんだね」
 言われた言葉に、イナクタプトが視線をそらした。
「いえ……未熟なだけです」
 あの時なにがなんでも目当ての小妖精を手に入れるべきだったのだ。イナクタプトは何度後悔したか知れない。そう打ち明けても柊子の答えは変わらなかった。

 二人の微妙な雰囲気に業を煮やした蘭蘭が、六階建てのビルに相当する巨体に変化するまで、一分もかからなかったと言う――


【召喚10・END】
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