まぜまぜダーリン
召喚11:「スクープ大好きゴローちゃん」
某月某日早朝、中川家から突如出現した巨大パンダは中川家を貪り食い、繁華街へと移動し始めたところで姿を消した。
近隣住民の話を総合すると、この家に住んでいるのは大工の父親、その娘、なぞの居候らしい。我らが新聞部は意を決して中川家への突撃取材を試みた。
噂を裏付けるべく、中川家の屋根は大破している。ちょうど修理中だった父親らしき人物に声をかけると、「あー、たいしたことねぇよ」という返事だった。なおも取材を試みるも、なぞの居候と思しき男がいつの間にか目の前に立っていた。
「何用か?」
口調こそ穏やかだが、殺意が滲んでいるのは明白である。ちょっとイケメンだからって、図に乗らないほうがいい。ペンは剣より強いのだ。しかし私とて命は惜しい。使命を果たせないのは身を引き裂かれる思いだ。権力に屈し、屈辱の涙を流しながら中川家を後にする時、私は気づいた。
屋根に、父親の他に誰かいる。
小柄な少女だ。中華な服を着た少女は、無言でオヤジに釘を差し出している。白い頬をぷっくりと膨らませ、唇まで尖らせていた。傍目からにも不満が伝わってくる、そんな表情だった。かわいかったな、いや、決して不埒な意味ではなく。名前聞いておけばよかった……
そこまで打って、粕谷吾郎は頭をあげた。柊子と同じ高校に通う、二年生だ。一人で学校新聞を作り続ける彼は、今度のスクープを中川家から出た巨大パンダの噂に定めていた。
住宅街に突如現れたという巨大パンダ。幻の如く消えたというそれは、笑い飛ばすにはあまりに滑稽で突拍子もなく、だからこそ真実味が感じられた。
「幻の巨大パンダ、絶対捕まえてやる!」
決意を新たにした彼は、再びパソコンにむかった。情報はあればあるほどいい。
「まずは突撃インタビューだ!」
吾郎が立ち上がる。狙いは決まってる。中川家の娘、柊子だ。
「え?」
唐突に声をかけられた中川家の娘、柊子は足を止めた。
昼休み、歯磨きに訪れた流しで声をかけてきたのは、見知らぬ上級生だった。
「きみ、中川柊子さんだよね? 僕は粕谷吾郎。新聞部でさ」
「はあ」
吾郎の用件が見えない柊子は生返事をした。
「きみんとこに出たっていう巨大パンダの件なんだけど」
うがいの途中だった柊子が盛大にむせる。これはいよいよ本当のことだと、吾郎は色めきたった。
「やっぱり、本当にいたんだね!」
「ちが、あの……ごほごほっ」
「どうしました、柊子」
唐突に降ってわいた声に、柊子も吾郎も動きを止めた。
「え? 誰?」
吾郎が声の主を探すが、どこにも人影は見えない。
「そそそそ空耳じゃない?」
柊子が慌てて頭を振った。間違いない、イナクタプトだ。どこにいるのやら。
「なんでもないから大丈夫。じゃあ、あたし、も、もう行くね」
慌しくハンドタオルを手にした柊子が駆け出す。
「あ、ちょ、ちょっと」
吾郎が追いすがる。その足は唐突に差し出されたモップに絡み、吾郎は顔面から廊下にダイブした。
「うわっ!」
顔面をしたたかに打ちつけた吾郎が、慌てて起き上がる。じんじんと痛む鼻を押さえながら周囲を見回す。
しかし、辺りには人影はおろか、彼を転ばせたはずのモップすら見当たらなかった。
吾郎のアプローチは時と場所を選ばず続いた。
「彼、すごく熱心ね」とは、柊子の部活の先輩の言葉である。体育館での練習中、柊子が出てくるのを待つ姿が見えたのだ。
「はあ……」
柊子はバスケットボールを手にしたまま、曖昧に頷いた。
熱心。本来なら褒め言葉に使われる言葉だが、この場合、ちっとも嬉しくない。柊子の顔色を見た先輩が笑顔をひっこめた。
「なに? ストーカー? あたし一言言ってやろうか?」
「あ、いえ、違うんです」
柊子は慌てて頭を振った。先輩の気持ちはありがたいが、これ以上ややこしくなるのは御免だ。
「違わないけど、違うんです……」
ため息をつきながら、柊子はうなだれた。
昨夜、蘭蘭が巨大化した、その姿を目の当たりにした。そこまではまだ良かったのかもしれない。イナクタプト曰く、巨大パンダになった蘭蘭は少し理性が飛ぶらしい。
「少し……?」
瓦をチョコレート菓子のように食べ始めた蘭蘭を指差し、柊子は絶句した。
「……かなり、かもしれません」
額に汗をにじませながら、イナクタプトが訂正する。彼なりに蘭蘭を気遣ったらしかったが、どちらかといえば逆効果だ。そうこうするうちに、蘭蘭が繁華街の明かりに目を向けた。
どっかりと降ろしていた腰を上げる。それだけで家が軋んだ。
蘭蘭がわずかに動くたびに、瓦や板切れが落ちてくる。顔の上に腕を掲げ、柊子は叫んだ。
「ちょ、蘭蘭ちゃん! そっちはダメだよ!」
「まあ、ここまでくりゃそっちもこっちもないけどな」
ばりばりと我が家の崩れる音を聞きながら、源次郎が日本酒を傾けた。手元の風呂敷には、妻の写真が包まれている。この騒動の中でも、ちゃっかりと傍に置いていたようだ。
「そんなこと言ったって、おとーさん!」
あそこには沢山の人がいる。
誰かが怪我をするかもしれない……!
否。今の蘭蘭が道を通るとは思えなかった。ということはつまり、道中の家はみな中川家と同じ運命を辿るということだ。
それだけは避けなくては。
「イナクタプト!」
「承知」
柊子が叫ぶと同時に、イナクタプトが地を蹴った。長身の体が軽々と宙に舞い、鮮やかな銀髪が月光に映える。褐色の肌は夜の憂いを帯び深い影を落して――柊子は、一瞬見惚れた。
「戻れ蘭蘭」
イナクタプトが手にした剣の柄で蘭蘭の首筋を打つ。天を仰ぐように蘭蘭がのけぞると思われた次の瞬間、巨大パンダの姿は霞の如く消えていた。
「え? あれ? 蘭蘭ちゃんは?」
あたりを見回す柊子をよそに、着地したイナクタプトが地面からそれを拾い上げる。その手の中には、目を回した小さなパンダの姿があった。
「大丈夫かな? 蘭蘭ちゃん、怪我してない?」
柊子が蘭蘭を覗き込む。蘭蘭はイナクタプトの掌の上で大の字になって寝ていた。
「丈夫が身上の動物ですから」
イナクタプトが答える。
「これで反省でもしてくれれば尚良いのですが」
「うん、でも怪我なくってよかったね」
「俺は大怪我だがな」
ふいに沸いた声に二人が振り返る。一人盃を傾けていた源次郎の頭に、蘭蘭が手にしていた瓦が刺さっていた。
巨大パンダと化した蘭蘭の姿は当然の如くご近所さんに目撃され、突然掻き消えたことでさらに噂を呼び――そして柊子は吾郎に追われる羽目になったのだ。
本当のことなど言えるわけがない。きっとなにかの見間違いだと言っても、吾郎はまるで納得しなかった。
「はあ……」
この分では帰り道も質問責めである。柊子は無意識に本日何度目かのため息をしていた。
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