まぜまぜダーリン

 それから三日ほどして影虎の体は回復した。
 筧さんの腕がいいのか、影虎の体が丈夫なのかは意見が分かれるところだ。傷口はまだ生々しいながらも、日常生活には支障がないようだった。
「やー、やっぱ柊子のメシはうまいわ!」
 遠慮なくどんぶりを重ねる影虎の横で、イナクタプトは嘆息した。
「どれだけ迷惑をかけたと思っている。柊子に詫びろ、影虎」
「相変わらず小さい男じゃのう」
 すまんかったな柊子、と箸を銜えたまま影虎が言う。ついでにお茶もとってくれ、と言うに及んでイナクタプトの手が剣に伸びた。
「い、いいよイナクタプト。あたし気にしてないし」
「礼儀は礼儀です。今叩き込まねばなりません」
 頑としてイナクタプトは譲らなかった。影虎に言いたいことが積もり積もっているようだ。
「お、やるかの」
 好戦的に笑った影虎が、刀に手を伸ばす。慌てた柊子が仲裁に入った。
「だめだよ、怪我人でしょ! イナクタプトもほら、剣しまって」
 影虎を宥めながら、イナクタプトに指示を出す。
「しかし」
「だめ!」
 柊子が叫ぶ。
 主からの命令は絶対。
 ぐ、と詰まったイナクタプトがしぶしぶ剣をしまう。柊子がほっと胸を撫で下ろした。
「やぁ、若い人は元気でいいねぇ」
 往診に来ていた筧さんが、にこにこと笑う。手にした医療かばんは随分重たそうだった。
「先生、ありがとうございました」
 柊子がぺこりと頭を下げる。その様を見た影虎は口にしていた楊枝を吐き出した。布団から出て、筧さんの前に立つ。懐に突っ込んだ腕で無造作に胸を掻きながら、影虎は言った。
「随分世話になったようじゃ。礼をせんとな」
「たいしてねぇ、なにもしてませんよ」
 自分より遥かに背の高い影虎を見上げながら、筧さんはゆったりと微笑んだ。
「いいや、いかん。それじゃあ、わしが収まりがつかんき」
 にやりと笑った影虎が、筧さんに刀を突き出した。鞘に収めたまま、筧さんの目の前に水平に構える。
「わしは信州影虎。その名にかけて誓っちゃる。お前さんの危機に、わしは必ず恩を返すと」
 横柄な誓いの言葉を終えると、影虎の頬の紋様が一瞬煌いた。
「それは頼もしいなぁ」
 大して本気にもしていない様子で、筧さんは目を細めた。頼りにしているというよりは、孫を見るような視線に近い。影虎が覇気を削がれたような顔をした。
「わしは本気じゃき」
「うんうん、ありがたいことですねぇ」
 のほほんと筧さんが返事をする。
「まあ、わたしは見ての通り年ですからねぇ。困る前にお迎えが来そうですよ」
「そん時はあんたの血族でええ」
「それもいないからなぁ」
 言われて柊子は初めて気づいた。そういえば、筧さんの家族を見かけたことがない。診療所の古びた机の上にある写真立てには、奥さんと子供らしき写真が飾ってあったのに。
「事故でねぇ、いなくなってしまったから」
 柊子の視線に気づいたのか、筧さんは薄くなった頭を掻いた。こんな時にも口元に笑みが浮かんでいる。それを面白くなさそうに見ていたのは、影虎だ。
「ああ、でもわたしが死んだら太郎が困るので、その時はお願いしようかなぁ」
 筧さんがのんびりと告げた。
「太郎?」
「先生の犬だよ」
 疑問を呈す影虎に、柊子が答える。確か老犬だったと柊子は記憶している。影虎はそれを聞くと黙って目を閉じ、深く息を吸い、天井を仰いだ。恩人でなければ胸倉を掴んでいるに違いない。
 しばらくして、影虎は目を開いた。怒りと殺気をないまぜにしたような表情だ。
「ええか」
 風が起きるような勢いで、影虎は筧さんに顔を近づける。もうあと数ミリで額が触れるという距離で目を覗き込みながら、影虎は筧さんの胸を指差し言った。
「あんたはほんまに困ったことになる。絶対じゃ。そん時はわしが恩を返すけぇ、覚悟せいよ」
 それではまるで脅しか呪いだ。青くなる柊子の前で、筧さんはうんうんと頷いた。
「そうですか。それは楽しみですねぇ」
「あんた、なぁ……」
 がくりとうなだれる影虎に、無理はいけませんよと念を押して、筧さんは帰っていった。
 後日、筧診療所の土地が地上げ屋に狙われた際、破壊神の如き着流しの男が現れたのは、また別の話である。


「でもよかったね、影虎。元気になって」
 影虎が食べ終わったどんぶりを片付けながら、柊子は言った。黙々と手伝うイナクタプトが「なぜお前は座ったままなのか」という視線を影虎に向ける。険しい視線を気にすることもなく、布団の上に胡坐をかいた影虎は茶を啜った。
「まあの。油断したわ」
 かかか、と豪快に笑う。それから、ふと思いついたように言った。
「おお、そうじゃ。この戦の主じゃがの」
「聞きたくない」
 ぷい、と柊子が顔をそらした。
「お?」
 影虎が意外そうな顔をする。
「その人、影虎が怪我してるのに還した人でしょ? あたしそういうの嫌い」
 拗ねたように言う柊子を、影虎は珍しいものでも見るかのように眺めた。
「はぁ、なにを言うちょるんじゃ」
「わかってる、それがルールだってイナクタプトに聞いたよ。でもあたし、嫌なんだもん。目の前にいたら文句言いたいぐらいだよ」
 柊子の口調が激しさを増し、皿を重ねる音が乱雑に響く。普段の柊子ならば考えられないが、明らかに怒っていた。
「まあ、お前さんなら言えるじゃろうな」
 顎を掻きながら影虎は言った。
「おかんじゃけぇ」
「え?」
「だから」
 手を止めた柊子を無遠慮に箸で指す。イナクタプトの眉間に皺が寄った。

「わしを召喚したのは、トーコじゃ言うたんじゃ」

 柊子のおかんじゃろが、と影虎が確認する。柊子は、目の前が暗くなったような錯覚に見舞われた。

【召喚12・END】
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