まぜまぜダーリン

 吉事は朝に、と誰が言ったかは知らないが、翌朝起きた柊子はさっそく行動を開始した。
 とはいえ、父親を捕まえて話をするというただそれだけなのだが。
「かーさんのこと?」
 寝起きから藪から棒に、と欠伸を噛み殺しながら源次郎は答えた。朝食の席につくと、寝崩れたパジャマから小さなパンダ姿で寝こけている蘭蘭を取り出す。すでに待機していたイナクタプトに蘭蘭を渡すと、源次郎が目を細めた。
「よく寝てんなぁ」
 俺ももうちっと眠いんだがなと言いつつ、新聞を手にする。
「おとーさん!」
「おお、そうだったそうだった」
 柊子の抗議に源次郎が新聞を畳む。茶に手を伸ばし一息つくと彼は口を開いた。
「どっから話すかなぁ。会ったとこからが一番いいか?」
 ひとりごちながら無造作に胸を掻く。寝癖のついた髪があわせて揺れた。
「あれは、とーさんが異世界で戦士をしていた時だった」
「はい?」
 柊子の目が瞬く。昨夜の酒が残っているのか。
 柊子の疑念とは裏腹に、源次郎の表情はいたって真面目だった。
「俺は、イナさんと同じ異世界の出身でな。まあ、ふつーに戦士してたわけだ。で、そこに来たのが母さん。召喚士なのに自分で来ちゃってな。俺が入ってた風呂に湧いて出て、どちらさまでしょかときたもんだ。とーさん、びっくりしたなぁ」
 はははと源次郎が陽気に笑う。
「これがなれそめだ。やー、思い出すと照れくさいな」
 ちょっと小便行ってくらぁと源次郎が立ち上がる。そのパジャマの裾を柊子は掴んだ。
「待って、ちょっと待って!」
「おい柊子、とーさん限界だぞ。漏れちまうだろが」
「うそ! 自分が話したくないとすぐトイレに篭っちゃうじゃない!」
 さすがに娘は聡い。源次郎は目を閉じた。
「おかーさんがどんな人だったのか、教えてよ!」
 柊子が叫ぶ。源次郎は観念したのか、深く長い息を吐いて、
「いい女だった」
 ぼそりと一言だけ答えた。
 しみじみと呟かれたその言葉には思い出が満ちていた。パジャマを掴んでいた柊子の手がゆるむ。
「柊子、かーさんがどんな人か知りたいか」
 源次郎が柊子をじっと見つめる。声が真摯に響いて、きゅっと胸が詰まる。
 自分を見据える源次郎の目を見つめ返しながら、柊子は頷いた。
「……うん」
「じゃあ、会いに行って来い」
「え?」
「おいおい、今言ったばっかりだろ?」
 源次郎は頭を掻いた。
「かーさんは異世界にいたとーさんの前に現れたんだ」
 そして今もそこにいる。そうだ。
 柊子は突然気づいた。なぜわからなかったんだろう。
 あまりに母の存在が遠くて、それが自分にもできるとは思わなかった。
「まさか……」
 そうだ、と源次郎は頷いた。
「召喚士は、異形を呼ぶと同時に自らも世界を渡ることができる。だから、お前がかーさんのこと気になるんなら会いにいけばいい。それが一番だろ?」
 別に俺は止めねぇぞ、と源次郎が欠伸を噛み殺す。
「あたしが、おかーさんに……?」
「そうだ。じゃ、後はイナさんとでも相談しろよ!」
 言うが早いか踵を返すと、源次郎はトイレへと駆け込んだ。
「あ、ちょっと、おとーさん!」
 柊子の叫びなどおかまいなしに、けたたましくドアが閉められた。早く学校へ行くよう声がかかる。当分出てこないつもりだと柊子は悟った。
「え、と」
 柊子は人差し指をこめかみに押し当てた。なんだか覚悟していた方向とは別のほうに話が進んだ気がする。混乱しきっていて事態がよく飲み込めない。
「おとーさんはイナクタプト達と同じ異世界の出身で、おかーさんとはそこで出会った、と。で」
 うーん、と唸りながら柊子は続けた。
「あたしもそこに行くことが、できる……の?」
 言いながら後ろに控えるイナクタプトを振り返る。柊子の視線に気づいたイナクタプトは、静かに頷いた。
「一般的な召喚士ならば可能です」
「柊子でもできるじゃろ」
「影虎!」
 大欠伸をしながら影虎が居間に姿を現した。今の今まで客間で寝ていたようだ。無造作に束ねられた黒髪が好き勝手な方向に跳ねている。寝癖なのか仕様なのか悩むところだが、本人は気にしていないらしい。
「おはようさん、いい天気じゃの」
「あ、うん、おはよう……じゃなくって!」
 今それどころではないと続けようとした柊子に構いもせず、影虎はあさっての方向を見つめた。
「ええんか? 柊子」
 影虎が無遠慮に柊子を見下ろす。その視線に、柊子はたじろいだ。
「な、なにが?」
「ガッコとか言うのに行く時間じゃろ?」
 影虎の視線を辿るように柊子が時計を見やる。その顔色が瞬く間に青ざめた。
「やだ! 朝練始まってる!」
 慌てた柊子が鞄を掴む。靴を履きながら柊子は慌しく振り返った。
「あのね、影虎、ごはん……」
「適当にやるけぇ、大丈夫じゃ」
「うん、ごめん! 行ってきます!」
 言いながら柊子が駆け出す。もう一度振り返ると、面倒そうに片手を上げる影虎の背後で炊飯器を逆さにしてご飯を流し込む蘭蘭の姿が見えた。

「全く朝から騒々しいわ。おまけにくだらん話をしよる」
 何度目かの欠伸を噛み殺した影虎がどかりと座り込む。その物言いにイナクタプトの気配が殺気立った。
「柊子にとっては大事な話だ」
「ほうか」
 影虎がテーブルに肘をつく。だるそうに乗せられた頬がこの世界の平穏さを呪っていた。
「で?」
 ちろりと影虎がイナクタプトを見やる。
「わしらのことは言うたんか?」
「……いいや。源次郎殿が出自を明らかにした。それだけだ」
 見る間に影虎の顔が歪む。理解しがたいのと呆れたのと、その他もろもろの感情がないまぜになったような表情だった。
「阿呆か」
 心底呆れたように言った影虎の目に、軽蔑にも似た光が宿る。
「わしはお前のそういうところが嫌いじゃ」
「そうか」
 イナクタプトは平然と受けた。それもまた影虎にとっては面白くないらしい。
「全く」
 影虎が吐き捨てる。その心情とは裏腹に、空はどこまでも澄み渡っていた。


【召喚13・END】
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