まぜまぜダーリン

 記者たるもの、いついかなる時に事件に遭遇するかわからない。だからこそ常にカメラを手放さないし、取材対象から目を離さない。そうすることで初めて些細な変化を見逃さずに事件の匂いを嗅ぎ取ることができるのだ――と、この間見た二時間ドラマで主人公の新聞記者が言っていたことを噛み締めながら、吾郎はカメラを握り締めた。
「間違いない」
 ファインダー越しに見える柊子の表情が浮かない。今朝はやや遅刻気味だった。朝礼にも上の空で掌でシャープペンシルを弄んでいる。傍にいれば、そのため息が聞こえただろう。
「元気がない……悩みがあるのか!」
 吾郎に衝撃が走る。身を隠している校庭の茂みがざわりと揺れた。木の葉が一枚、二枚と舞い落ちる。
「君、そこでなにをしている。クラスと名前を言いなさい」
 傍から見れば果てしなく挙動不審な吾郎に教師が声をかけたのは、ごく当然のことだった。


召喚14:「中川さん家のしゅーこさん」


 結局のところ、柊子は一日中上の空だった。
 授業を受けていても、部活をしていても、どうしても朝の話が頭から離れない。
 異世界に行く――?
 この世界と違う場所に行く、それができると言われても、ピンとこなかった。それなのに、何をしても自分と他者の間に一枚透明な膜を挟んだような疎外感がある。明日には目に映る景色が未知のものに変わっている、そんな気がした。
「うーん……」
 相談しようにも誰にもできない。
 イナクタプトならなんと言うだろうか。
 部活の片づけを終えた柊子は、悶々とした気持ちを抱えながら校門を出た。いつもならイナクタプトが待っているはずの電柱に無意識に視線をやる。
「あれ?」
 柊子の目が瞬いた。
 今日はイナクタプトの姿が見えない。代わりにいたのは、場違いな着流しを着た男と、チャイナ服に身を包んだ少女だ。二人ともどこか憮然としている。
「影虎、蘭蘭!」
 柊子が小走りに近づいた。それを見た影虎が踵を返す。つられるように、蘭蘭も歩き出した。
「イナクタプトは? どうしたの?」
「源次郎が用があるんじゃと」
 影虎が欠伸を噛み殺す。よほど退屈だったらしい。
「蘭蘭ちゃんも来てくれたんだ」
「イナさま、命令した。蘭蘭、がまんした」
 イナクタプトと離れたくなかったらしい。蘭蘭は影虎の着物の裾を掴みながら、頬を膨らませた。
「そっか、ありがとね」
 微笑んだ柊子がコンビニの前で立ち止まる。
「あ、じゃあせっかくだから肉まんでも買おっか。もうすぐシーズン終わっちゃうだろうし」
 柊子が蘭蘭の手を引いてコンビニへと入る。ついて入った影虎の身なりを見て、店員が一瞬硬直した。視線が腰の刀に注がれている。無理もない。
「どれがいいかな」
 柊子が保温器の前に蘭蘭を連れて行く。
「全部」
 食べ物の気配を察したのか、蘭蘭の口端からよだれが落ちた。

「ふまい」
 レジで受け取ると同時に肉まんにかぶりついた蘭蘭が感想を漏らした。そのままふたつ、みっつと食べ進める。柊子としては多目に買ったつもりだが、家に帰りつく前になくなりそうな気配だった。
「そう? よかった!」
 柊子が微笑む。しげしげとその様子を眺めていた影虎がおもむろに口を開いた。
「そういや何の用があったんじゃ?」
「え?」
「わしを呼んだろが」
「あたしが? いつ?」
 柊子が首を傾げる。影虎の頬がひくついた。
「お前が呼ばなけりゃ、わしはここにおらんが」
「あ」
 そうだった。
 柊子が口を押さえる。まさか影虎が怪我をして出てくるとは思わなかったので、当初の目的がどこかへ行ってしまっていた。
「そうだった! 影虎に聞きたいことがあって!」
 思い出すと同時に柊子は勢い込んだ。迫る柊子に、影虎が思わず後ずさる。草履が道路に擦れる音がした。影虎を真っ直ぐに覗き込んだ柊子の瞳は影虎の顔と五センチも離れていない。口付けすらできそうな距離だ。
「な、なんじゃ……」
「ほら、影虎が帰る時言ってたでしょ? イナクタプトが」
 以前、主を殺している――
 だから気をつけろと影虎は言った。あれから、あの言葉がずっとひっかかっている。イナクタプトの行動のどこを見ても、そんなことをするとは思えないのだ。
「あれってどういうこと?」
「なんじゃ、そんなことか」
 拍子抜けしたかのように、影虎ががくりと肩を落とした。小気味の良い音を立てて腕を鳴らすと、鼻で息を吐く。
「そんなもん、本人に聞けばよかろ」
 影虎の返事に柊子は耳を疑った。
「そ、それが出来れば苦労しないんだから」
「苦労ってなんじゃ?」
「う……」
 そう言われると身も蓋もない。柊子はたじろいだ。
「言うだけ言って、ずるい」
 拗ねたように唇を尖らせる。聞こえていないのか、影虎は耳をほじると大口を開けて欠伸をした。
「用がそれだけならわしゃ帰るぞ。用意せぇよ」
「影虎!」
「なんじゃ?」
 涙目になって影虎を睨む柊子を一瞥すると、影虎は思いついたように言った。
「一緒に行くか?」
「え?」
「トーコに会いに行くんじゃろ?」
 ほんならわしと一緒に行けばええ、と影虎は柊子に告げた。
 またしても話が飛躍している。
 紙袋を食べ始める蘭蘭の横で、柊子は呆然と立ち尽くした。

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