まぜまぜダーリン

 困った時に持つべきは友人だが、この場合なんの役にも立たない。まずは信じてもらうところから始めるのでは、本題に達するまで先が思いやられる。柊子は何度も携帯を開いては閉じてを繰り返した。
「どうしました、柊子」
 源次郎の手伝いを終え、帰宅したイナクタプトが柊子の異変に気づいた。
「うん……ちょっと」
「お前に聞きたいことがあるんじゃと」
 影虎がだるそうに欠伸する。
「ちょっと影虎!」
 慌てた柊子がテーブルを叩く。影虎はわずかに眉を上げた。さっさとしろと言わんばかりの表情だ。
「私に? なにか」
 イナクタプトが柊子に向き直る。ご丁寧に膝までついた。
 携帯を握り締めた柊子の手がじっとりと汗ばむ。
「え……と」
 イナクタプトの金色の目が柊子を真っ直ぐに捕らえた。
 なんて聞きにくい。
「あの、ね」
「はい」
 柊子はぎゅっと携帯を握り締めた。
「イナクタプト達の世界って、どうやって行けばいいの?」
 言った瞬間にどっと力が抜けた。聞きたかったのはそれではない。否、これも訊ねたいことではあったのだけど。
 柊子の脱力をよそに、イナクタプトは律儀に返答した。
「異世界への渡り方、ですか」
「難しいのかな。やっぱり」
「いえ、以前も申し上げた通り、柊子にも可能だと思います。なぜなら」
「簡単じゃからの。帰還陣に乗ればええ」
 煎餅をかじった影虎が横柄に答える。柊子は驚いた。
「え! あれ、乗れるの?」
「わしらは乗っとるじゃろが」
 言われてみれば確かにそうだ。召喚された者は皆、それぞれの魔方陣に乗って現れる。しかし、柊子は光で出来たあの紋様に乗れると考えたことはなかった。なぜと問われれば理由はない。強いて言うなら、ただひたすらに己とは別世界の出来事だったからである。
「他に質問はないんか?」
 傷が治った以上この世界で費やす時間が惜しいらしい。影虎は焦っているようにも見えた。実際は暇に耐えられないだけだが。
 柊子がイナクタプトをちらと見やる。
「あたしは影虎の帰還陣で行けばいい……んだよね。でも、イナクタプトはどうするの? あたしが帰還陣忘れちゃったから帰れないんだよね?」
 これにも影虎はごく簡潔に答えた。
「一緒に乗りゃええじゃろが」
「三人乗りできるの!?」
 柊子は今度こそ本当に驚いた。目が点になるとはこのことだ。
「だったら別に帰還陣思い出さなくてもよかったじゃん! イナクタプトは影虎と一緒に帰ればよかったんだし!」
「阿呆」
 影虎が柊子の頭を小突く。イナクタプトの眉間に大きな皺が寄った。柄に回す手を柊子が見咎めた。
「それじゃあ、あいつはお前に呼び出されたまんまじゃけぇ、他の仕事ができん。召喚と帰還であくまでワンセットじゃ。覚えとき」
「う、うん」
 わかったようなわからないような。曖昧なままに柊子は頷いた。
「他は」
「えーと」
 聞かなければならないことはたくさんあったような気がする。柊子は頭に人差し指を押し付けた。堂々巡りをするばかりで、思考はまるで言葉にならない。
「そう大袈裟に構えるもんじゃないだろ。後は道々聞いて来い」
 そう言って柊子の背を叩いたのは源次郎だ。風呂に入っていたのか、体中から湯気が出ていた。反対の手には、すでに焼酎の瓶が握られている。
「おとーさん!」
「ちょーど土日でいいじゃないか。ぱーっと行ってぱーっと帰る。それでいいだろが」
 そう言って酒を煽る。
 異世界というのはそんなに簡単なものなんだろうか。
 柊子はちょっと拍子抜けした。
「そ、そんなんでいいの……?」
「里中さん家に泊まりにいくよーなもんだ。大したこっちゃねぇ」
 それでは海外より近いのか。身構えすぎだったのかと柊子が反省する。
 柊子はちらりと影虎を見た。柊子が行かないなら、躊躇なく帰る。そんな気配を隠そうともしない。
「そっか。じゃあ、行ってみようかな」
「おお、行け行け。母さんによろしくな」
「い、今!?」
「そりゃそうだ、ほれ善は急げだ」
 源次郎がかきまぜ棒を押し付ける。それで出発は決まったようなものだった。


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