まぜまぜダーリン

 人の回復能力も捨てたものではない。
 柊子はそんな思いを抱きながら、眼前の人物を凝視した。エリーナの差し出すスープを皿のまま掴み、豪快に啜るその男。がっしりした体格に、清流の青い紋様をあしらった白い着流しがよく似合っている。剛毛と呼ぶにふさわしい毛質の黒髪を一つに束ね、朱色の紐で結わえてある。肌はよく日に焼け、筋肉を覆った肌が見せる照りは、とても先程まで黒焦げになって転がっていたものと同一とは思えなかった。
 ほんの数分前のことだ。焼死体よろしく転がっていた影虎父の元へ、丸太が一本、歩いてきた。歩いてきたといっても、足が生えているわけではない。菌糸を器用に出し入れし、半分は転がりながらやってきたのだ。木製楽器にも似た軽快な音が室内に響く。思わぬ乱入者の登場に唖然とする柊子をよそに、イナクタプトも影虎も黙々と食事を進めていた。これもまた、日常の光景なのだろう。
「な、なに?」
 独り言に近い調子で柊子が疑問を口にする。答えたのは影虎だった。
「ゲンボくんじゃ」
「はい?」
 影虎の言葉に柊子が振り返っているうちに、ゲンボくんは、その幹から、めいっぱいの菌糸を放出した。黒焦げの影虎父を透明な菌糸が幾重にもくるんでいく。時々弾けるように散る虹色の菌もあいまって、あまりいい光景ではなかった。
「親父の眷属じゃ」
 影虎の面倒そうな説明に、エリーナが補足した。
「ヒーリングが得意ですのよ。いいお出汁も出ますの」
 その出汁はなんに使うのか。スープを飲みかけた柊子の脳裏に疑問がよぎったが、聞かないことにした。そうこうする間にも、影虎父の体は目を見張るスピードで回復していく。やがて菌糸の繭が七色に光り、ゲンボくんが菌糸を巻き取ると、見事に回復した影虎父は豪快に起き上がったのである。

「ぷはーっ、うまい!」
 一気にスープを飲み干し、拳で口を拭うと影虎父は快活に笑い出した。声がどことなく影虎に似ている気がする、と柊子は思った。
「食ったら帰れや」
 冷め切った声で影虎が告げた。そういう自分も食事を終えているのだが、帰る気はないらしい。椅子に大人しく座っているのが性に合わないようで、純白のテーブルクロスの上に草履ごと足を投げ出していた。それを見つけた柊子の顔色が変わる。
「ちょっと、影虎!」
 見かねた柊子がたしなめる。
「なんじゃ」
「足! どけなよ!」
「細かいのう」
 しぶしぶと言った風情で、影虎が足を下ろす。
「なんじゃ、柊子殿の言うことは聞くんか」
 面白いものを発見したというように、影虎の父――虎吉と言うらしい――は太い指で顎を掻いた。
「一応、主じゃけの」
 言うことは聞かんと、と影虎が憮然とした表情で答える。
「ほほ〜う」
 からかいを含んだような父親の視線に、影虎が不機嫌そうに楊枝を噛んだ。虎吉は構うことなく柊子に近づき、その顔を無遠慮に覗き込んだ。
「あ、の……?」
 おずおずと柊子が見上げる。
 体格が良い、というのはこういうのを言うのだろうか。虎吉は源次郎より一回り以上も体が大きい。指も鼻も、パーツのひとつひとつに野太さが感じられる男だった。ついでに、汗とも体臭ともつかない独特の匂いがする。
「柊子殿、うちの咎を頼みますぞ」
 そう言った虎吉が柊子の肩を掴む。ぐっと瞳を覗き込まれ、柊子は息を呑みながらも頷いた。
「は、はい。わかりました。あ、でも、あの」
 ちらとイナクタプトを見ながら柊子が言葉を紡ぐ。
「咎って、なんですか?」


 召喚16:「世界の果てと、誰かさん家のトガさん」


 昨日は異世界に来た衝撃で、まるで周りが見えていなかったのだ。
 町に出た柊子は、それをまざまざと感じていた。
 イナクタプトと影虎に連れられて、出た外は、柊子の世界の夏にも似た熱気に包まれていた。日本の夏より湿気が多い。いくらも歩かないうちに汗が吹き出し、顔がぼうっと火照ってくるようだった。エアコンに該当するものは見当たらなかったが、あの屋敷は涼しかった。なにがしかの冷房対策がとられていたのだろうと、柊子はぼんやり考えた。
 陽射しがないのは幸いかもしれない。
 厚い黒雲に覆われた空は、雷を孕んでいるようだった。暗雲立ち込めるという文字の如く、轟きうねっている。が、そこをどく気配はない。万年この調子なのだとイナクタプトは告げた。
「空というものは、世界によって違うものです」
 柊子の世界は表情豊かだったとイナクタプトが言う。細められた目が柊子達の青い空を懐かしんでいるようで、柊子は少し嬉しかった。
 町には人と物とがひしめきあっていた。
 通りに並ぶ建物はどれも個性に溢れ――和洋・中華、柊子の知る限りの全ての文化プラスアルファと、いかんとも判別しがたいものまで――各々が個性を譲ることなく乱立していた。通りを行く人々の格好も同様で、柊子と背恰好の変わらぬ少女もいれば、青い目をしたユニコーンもいたし(なぜか服も着ていた)、妖精とおぼしき光を連れた剣士もいた。妖精の撒き散らす粉に振り返ると、そんなリアクションをする柊子が珍しいのか、妖精はウィンクした。驚いた拍子に、柊子の薬指に小さな薔薇の指輪が咲く。優しく甘い香りの薔薇は、どうやらプレゼントらしかった。
「ほれ、柊子」
 人混みを器用にかきわけて進む影虎が、柊子に手を伸ばす。往来の人にぶつかる柊子を見兼ねてのことだと気づいたのは、柊子が影虎の手を取った後だった。己の体を盾にして、柊子を背にかばうようにして進む。それに気づいた柊子が礼を述べると、「なんのことじゃ」と取り合わなかった。
「あそこです、柊子」
 町のはずれの丘に辿り着いた時、イナクタプトが指差した。遠く、荒涼とした砂漠の果てに、赤土の断崖がある。雷鳴が絶え間なく降り注ぎ、常に砂塵の舞う場所だった。
「あれが、トーコ殿のいる場所。そして、我々の世界の果てです」

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