まぜまぜダーリン

召喚18:「我、君を呼ぶ」

 切立った岩の肌を風が撫でる。悲しげな歌声にも似たその音があたりに響き、黒く立ち込めた暗雲の狭間を走る雷光が岩山の輪郭を照らした。遠く地鳴りが聞こえ、どこぞに落ちた雷の余韻が足元を揺らす。世界の果ては、そんな場所だった。
「え、と」
 高々とそびえる崖を見た柊子が、その壁面を辿るように顔を上げる。視線の先に、雷光に混じり、一際高く火花が交錯している場所がある。光によって浮かび上がる漆黒の影は、獣の形をしていた。そこが恐らく目指すところの――トーコのいる場所なのだろう。頂上にも近いその場所は、光が走るたびに闇が、闇が押すたびに光が、互いを侵食せんと牽制しあっているように見えた。唸りが風となって、足元を吹き抜ける。ひとつ風が吹く度に、不吉な影がよぎっていくようだった。
「あそこに、行く……んだよね?」
 柊子が頼りなく後ろを振り返ると、イナクタプトが無言で頷いた。初めに出逢った時と同様の、西洋風の銀の甲冑を身に纏っている。その隣にはいつもの着流し姿の影虎がいた。
「当たり前じゃ。くだらんこと確認しよって。まっこと……」
 イナクタプトが横目で影虎を見やる。射る様なその視線に、影虎が不満げに口を閉じた。
 柊子が後ろを振り返りたくなるのも道理だろう。彼女の目の前にある道は、それを道を呼ぶのかさえ怪しい代物だった。
 崖の一部がぽっかりと口を開け、内部を晒している。外に降る雷の餌食になりたくなければ、そこを通るしかなさそうだった。切立った周囲に比べればまだしも平坦な地面が、ゆっくりとしたカーブを描きながら先へと続いている。無論、その先は闇の中だ。
 柊子は小さく唾を飲んだ。肩に乗ったパンダ姿の蘭蘭に、そっと手をやる。蘭蘭の小さな手を握りながら、柊子は意を決したように呟いた。
「よし、行こ!」
 気持ち大股で一歩を踏み出す。
 空で、一際大きな稲妻が走り抜けた。

 崖の中は、わずかに湿っていた。徐々に視力が慣れてきたおかげで、壁面の輪郭がぼんやりと見て取れる。とはいえ、相変わらずの闇には変わりない。
 足元の大地が急になくなったとしても、気づかないかもしれない。
 そう思った矢先、柊子の足元でごく小さな炎が爆ぜた。
「わっ」
 柊子が驚く。炎は瞬く間に消えた。
「な、なに?」
 驚いた柊子が脚を止めた。消えた炎の余韻が、おぼろげに闇に残る。
 一度きり、だったのだろうか。
 柊子がそう思った時、柊子の足元から先へと、炎が爆ぜた。ぽっと灯った明かりが、消えては光る。点々と灯される光は、道行を示しているようだった。
 警戒し、立ち止まる柊子の前に出ていたイナクタプトが、目を細めて剣を収める。彼は振り向きながら言った。
「この辺りに自生する炎の精霊です。害はありません」
「道案内でもしとるんじゃろ」
 影虎が欠伸を噛み殺す。柊子がほっと息を撫で下ろした。
「そ、そうなんだ……」
 炎の妖精の舞は生涯に一度きり。柊子達を照らし、散った炎は二度と還ってこないのだと、イナクタプトは告げなかった。
「ここ、真っ暗だし、ちょっと怖いなって思ってたんだ。ありがとう」
 柊子の礼に応えるかのように、炎が瞬く。花火に似ている、と柊子は思った。

 炎の精霊に導かれて辿り着いた先は、行き止まりだった。
「え、な、なにこれ……」
 柊子は目の前にそびえ立つ扉を呆然と眺めた。扉と言うよりは門に近い。見上げても限りが見えない。高さは恐らく、洞窟の幅一杯あるのだろう。そして――柊子は左右を見渡した。横幅も、完全に道を塞いでいる。
 呆然としている柊子の前に、緑色の光が浮き上がった。
 走るように文字が綴られる。
 光と共に浮き上がった警告文を、イナクタプトが読み上げた。
「この先、獣の眠り妨げるなかれ」
「獣……?」
 世界の果てにいるという、あの獣のことだろうか。柊子は考えた。
 けれど、そこに行くためにここにいるのだ。
 他の人間がどうかは知らない。けれど、今現在、この場所に訪れる人間の目的が他にあるとも思えなかった。
 それを、阻む扉。
 誰が作ったとも知れない。目的など、もっとわからなかった。
「なんなのよこれ……!」
 柊子が扉を叩いた。材質は鉄に近い。触れただけでその頑強さが知れた。柊子が叩いたぐらいではびくともしない。
 これでは先に進めない――
 ぐらり、と眩暈がした。その時だった。
「柊子、どけ」
 言うが早いか影虎が構えた。
 大股を開き、柄に手をかける。
 太刀を振るうのは、一瞬。
 柊子の目には、閃光が走っただけに見えた。
 直後に、振動が起きる。地響きと共に、扉が崩れ落ちた。
「こんなもん作りよって。ほんに阿呆が」
 影虎が吐き捨てる。その瞳には、軽蔑にも似た悲しみが宿っているように見えた。
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