まぜまぜダーリン

 柊子の手の内でかきまぜ棒が踊る。まばゆいばかりの光が、その軌跡を残す。
 紡がれるままに描き出された軌道は、花の形をしていた。
 闇の中、はっきりと浮かび上がるその輪の中に、人影が見える。
 跪き、顔を伏せた女は小太りだった。典型的なおばさんパーマが風に揺れ、花柄のエプロンの裾がはためく。手にしたおたまが鈍い光を放った。
「里中さん!」
 柊子が声をかける。里中さんは、ゆっくりと顔を上げた。
「あらー、柊子ちゃん!」
 満面の笑みで答える。ぱっと華やいだ顔が、いつもの里中さんと変わりない。そのことが柊子を安堵させた。
「どうしたのー。こんなところで」
 この状況をその一言で済ませる大らかさが羨ましい、と柊子は少し思った。否、呼んだのはまぎれもない柊子なのだが。
「うん、ちょっと、困っちゃって」
 獣の咆哮が響く中で、柊子は言った。
「あらあら」
 その声がするほうに身を乗り出したのは、里中さんだ。
「まあまあ、困ったわねー」
 獣の声に答えるように頷く。柊子は目を丸くした。
「おばさん、わ、わかる、の……?」
 里中さんの目がキラリと輝く。
「おばさん、泣き声には慣れてるからね! 伊達に子供育ててないよ!」
 びっと突き立てられた親指が、ひどく頼もしく思えた。


召喚19:「里中さん、筧先生」



 筧藤吉は医者だ。中川家のすぐそばで、小さな診療所を構えている。傾きかけた家の中で、老犬とふたり、縁側に腰掛け静かに茶を啜るのが日課だった。
 その日も最後の患者を見送り、古びているが小奇麗な台所で茶を淹れ、縁側に腰掛けたはずだった。
 湯飲みを手にし、ぼうっと庭を眺める。そんな時間が好きだった。
 異変に先に気付いたのは、愛犬だったか、自分だったか、もう覚えていない。
 湯飲みを持つ、その手が光っている。きらきらとした粒子は瞬く間に筧さんの体を包み込んだ。
 驚いた愛犬が吼える。が、筧さんは落ち着いていた。
「ああ、お呼びがかかったか」
 自身に起きた異変が当然であるかのように、筧さんは微笑んだ。
 どうしてだろう、呼ばれることを知っていた。
 赤子の頃から知っている、中川家の娘の姿が脳裏を過ぎる。
 あの子が、呼んでいるのだ。
「ちょっと行ってきますよ」
 愛犬の頭を撫でる。皺の刻まれた指先がその毛先に触れる前に、筧さんの姿は消えていた。


 一瞬の暗闇の後に目を開けると、そこは見知らぬ洞窟だった。
「おやおや」
 筧さんの口から、呑気な感想が漏れる。
「筧先生!」
 柊子が慌てて駆け寄る。その後ろに影虎の姿を見つけて、筧さんはにこりと微笑んだ。
「何しに来たんじゃ」
 苦虫を噛み潰したような顔で影虎が唸った。
「さあ、それは」
 筧さんが頭を掻く。自ら来たのではない、呼ばれて来たのだ。
「先生、ごめんなさい」
 柊子は小さく頭を下げた。
 うっすらと湿った空気が黴臭い。獣の咆哮が木霊し、地が震える。危険な場所に呼んだことを、柊子は詫びているようだった。
「なにか、困ったんだね?」
 確認するように筧さんは尋ねた。柊子がこくりと頷く。
「わたしで力になれるかねぇ……」
「なれん!」
 断言したのは影虎だ。
「ちょっと、影虎!」
 抗議の声をあげる柊子に指を突きつける。
「何を考えちょるんじゃ。あんなん呼んでどうする」
 顔を近づけて、至近距離で凄む。柊子は負けじと睨み返した。
「あんなんなんて失礼!」
「あんなんは、あんなんじゃ」
 相変わらず獣の声に耳を澄ましている里中さんと、ぼうっと上を眺めている筧さんを指差して、影虎は言い切った。
「どこになんの必要があるんじゃ。悪いことは言わん。早う返せ!」
「あのね……!」
「大丈夫ですよ、影さん」
 筧さんがのんびりと言った。
「心配を、してくれているんですよねぇ」
 相変わらずどことなく間延びした喋り。醸される雰囲気に、影虎も柊子も棘を抜かれたようだった。
「何を言うちょる」
 バツが悪そうに影虎がそっぽを向く。
 その顔を見て、柊子は抗議の理由を知った。
「影虎、心配してたんだ」
「しちょらん」
「してたんでしょ?」
「しちょらん!」
 再び言い合いになろうとした矢先、それまで黙っていたイナクタプトが口を開いた。
「柊子」
「な、なに?」
「遊んでいる場合ではないかと」
 その通りだ。
 召喚陣の光によって、こちらの場所は知られている。攻撃されるのも時間の問題だろう。
「う、うん」
 柊子は息を呑んだ。
「あのね、里中さん、筧先生。二人にお願いが――」
 二人を振り返った柊子は、絶句した。
「なあに? 柊子ちゃん」
「どうしましたかねぇ」
 首を傾げる二人のすぐ後ろで、獣が真っ赤な口を開いていた。
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