まぜまぜダーリン
召喚陣の光に驚いてか、止んでいたカミカゼコウモリの気配が、再び三人を囲み始めた。羽で削られた岩が、ぱらぱらと落ちてくる。
「正体はわかりましたが」
飛び回るコウモリの速さを掴みあぐねて、イナクタプトの額に汗が滲んだ。手にした剣が頼りない。
「なんの解決にもなっとらん」
ぼやいたのは、影虎だ。
そう言いつつも、イナクタプト同様、柊子を庇い背にしている。その手に携えられた刀もまた、出番を心待ちにしていた。
「大丈夫」
柊子が再びかきまぜ棒を構えた。
「先輩はちゃんとヒントもくれたから」
手にした棒が、光の軌道を描き出す。浮かび上がった召喚陣の中、うずくまっているのは獣だった。
「久しぶりになっちゃったね、ロメオくん」
柊子が言うと、4歳のオスライオン・ロメオくんは喉を鳴らしながら召喚陣を降りてきた。甘えるように擦りよって、頬を舐める。
「柊子、それは」
「うん」
イナクタプトの言葉に、柊子は頷いた。
「さっき、先輩言ってたよね。本当は臆病だって。だから……」
ロメオくんの喉を撫でる。
心地良さそうにロメオくんが目を細めた。
「ロメオくん、お願い!」
柊子が言い終わると同時に、ロメオくんは地を蹴った。顔つきが先程までとは違っている。甘えの余韻もない、狩人の表情。
ロメオくんの牙が、カミカゼコウモリの一匹を捕らえた。着地をした足にも一匹、次いで放たれた咆哮は洞窟内を揺らすほど大きなものだった。岩と門が衝撃に揺れる。柊子は思わず耳を塞いだ。
やがて振動が収まると、柊子はおそるおそる耳を塞いでいた手をどけた。
しんと静まり返るばかりで、生物の気配が感じられない。
「逃げたか」
影虎が辺りを見渡しながら言った。刀を鞘に納める。
「そのようだな」
イナクタプトが嘆息する。
「ありがとう、ロメオくん!」
柊子がロメオくんに抱きつく。ロメオくんが嬉しそうに喉を鳴らした。
イナクタプトが剣を振るう。剣撃が閃光となって門を斬る。轟音を立てて崩れ落ちる門を、柊子はじっと見つめていた。
手には、まだロメオくんを撫でた余韻が残っている。帰っていく時も、名残惜しそうに柊子に頬を摺り寄せた。また元の世界に戻れたら、絶対に会いに行こうと柊子は決めた。
「柊子、手を」
門の瓦礫に足をかけたイナクタプトが、手を差し出す。
「あ、うん」
柊子がその手をとった。イナクタプトに導かれるまま、一歩踏み出す。
瞬間、柊子の脳裏に焔が走った。
「あ……っ」
柊子の動きが止まる。
頭の中を、炎が走る。その軌道は「人」という字に似ていた。
「柊子?」
イナクタプトが怪訝そうに声をかけた。
「な、なんでもない。もう平気」
柊子が頭を掻いた。えへへ、と笑ってみせる。
まだ何か言いたそうなイナクタプトの横をすり抜けるようにして、柊子は瓦礫の上へと登った。
イナクタプトの銀髪が、さらりと揺れる。その合間に見える頬の紋様を、柊子は見た。
門を越える度に、見える焔。
その軌道が何を示しているのか、柊子にはもうわかっていた。
続く道は細く狭く、入り組んでいた。
鍾乳洞のように切立った天井が、柊子達を迎える。
「あとどのくらい続くのかな」
蒸し暑さを感じながら、柊子が呟いた。
「距離から考えれば、もうすぐだと思うのですが」
甲冑を纏い、最も暑さを感じるであろうイナクタプトは、汗一つかいていない。その肩では、パンダ姿の蘭蘭が腹ばいになって伸びていた。
影虎などは、着物の襟で仰ぐ始末だ。
「またじゃ」
うんざりした口調で影虎が言う。
視線の先に、確かに白い門があった。
柊子達の前に、光の文字が浮かび上がる。
「最後の門のようです」
それを読んだイナクタプトが告げた。
「問いに答えよ、と……」
いつになく歯切れが悪い。柊子はそのことに気づいた。
「イナクタプト?」
「失礼しました。問いの全文を読みます」
イナクタプトが再び文字列を見た。
「フェルマーの最終定理について証明せよ」
「なんじゃそれは?」
影虎の眉間に皺が寄った。口がぽかんと開いている。
「な、なにそれ……」
柊子も絶句した。それがなにかすらわからない。
「私達の世界のものではないと思うのですが」
イナクタプトが言いよどむ。ちらりと視線を感じた柊子は、大いに焦った。
「えっ、てことは、あたしの世界のこと?」
「これを作ったのがトーコ殿ならば、あるいは」
「まどろっこしいわ!」
焦れた影虎が刀を抜く。
「もうアレの声も雷鳴も聞こえちょる! すぐそこなんじゃろうが!」
幸い、今回は邪魔する獣もいない。影虎が門へと一撃を放った。
瞬間、耳障りな高音が辺りに響き渡った。
影虎が、刀ごと弾かれる。
「なに?」
草履を滑らせつつも、影虎は体制を維持した。傷一つない門を睨み付ける。
「魔法がかかっているのか」
イナクタプトも門を見た。手を伸ばすと、それすらも弾かれた。
「柊子」
イナクタプトが振り返る。
「これが柊子の世界の問いならば……」
「わかった、わかった! ちょっと待って!」
柊子が頭を抱えた。かきまぜ棒に押し付けるようにして、考え込む。
フェルマーさんとやらに縁はない。だが、なんだか問題から難しそうな気配がする。
「そんなのわかる人って……」
困り果てた柊子の中で、源次郎の声が蘇った。
『馬鹿、お前、あの人は……』
「あ!」
突然閃いたかのように、柊子は顔を上げた。
「そっか、わかった!」
柊子がかきまぜ棒を掲げる。軌道を描きながら、柊子は叫んだ。
「お願い、助けて――佐藤さん!」
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