まぜまぜダーリン
召喚22:「はじめてのしょうかん」
世界を食む獣の咆哮が、乾いた大地に響き渡る。
トーコの前に立った源次郎が、斧を構える。間髪入れずに、獣の牙が襲い掛かった。受けた源次郎の足が、土にめり込む。
耳障りな金属音と共に、風が渦巻く。黒雲が震え、大地が揺れた。
「私達も行きます。蘭蘭」
イナクタプトが蘭蘭を呼びながら指を鳴らす。途端に、小気味良い音を立てて、蘭蘭が少女姿へと変化した。チャイナ服にも似た衣装に、二つに結ばれたおだんご頭がよく似合っている。
「柊子を頼む」
ごく当然のように告げられた言葉に、蘭蘭が目を丸くした。
「どうした」
イナクタプトが怪訝そうな顔をする。
「蘭蘭、頼られる、初めて……!」
ぽっと蘭蘭の頬が赤く染まる。幸せそうにえへへと微笑む少女に笑い返すこともなく、イナクタプトは毅然と告げた。
「任せたぞ」
「イナ様、蘭蘭、頑張る!」
蘭蘭が背筋を伸ばして答えた。
「気をつけて」
柊子の言葉に、イナクタプトが無言で頷く。金色の瞳が、獣へと向けられる。
イナクタプトはマントを翻し、影虎と共に駆け出そうとした。
「待って!」
柊子がイナクタプトのマントと影虎の着物の裾を掴む。
勢いを削がれた二人が立ち止まった。
「なんじゃ?」
「柊子?」
怪訝そうに振り返る二人の前で、柊子はためらいがちに口を開いた。
「あの、ね……」
どうしてだか、二人を掴んだ手を離せない。
けれど、今言わなければならないことがある。
柊子は、言葉を探しながら続けた。
「あたし、いっつも怒ってばっかで、一度も頼んだことがない気がする」
だからこれはわがままかもしれないんだけど、と言って、柊子は顔を上げた。
イナクタプトと影虎の顔を、正面から見つめる。
その顔には、覚悟と決意があった。
「イナクタプト、影虎」
名を呼び、一度強く握った手を離す。マントと着物が翻りながら二人に還った。
その先を追った視線が、イナクタプトの剣と影虎の刀を辿る。
初めは、なぜそれが必要なのかわからなかった。
武器を持つ、その意味を。
彼らが戦う、その意味を。
今は――もう、知っている。
柊子の脳裏に、怪我をした影虎の姿がよぎった。またあんな思いをさせてしまうのかもしれない。
けれど。
柊子がかきまぜ棒を握る。瞳は揺るぎもしなかった。
「あたしのために戦って」
決然と告げられた言葉に、イナクタプトと影虎が目を丸くしたのは、ほんの一瞬のことだった。
「我が剣は我が主の為に」
イナクタプトが微笑んだ。影虎も好戦的な笑みを見せる。
「なーにを言うちょるか、今更」
阿呆が、と柊子の額を指で弾く。
「いたっ」
柊子が額を押さえる、その隙に。
「お前の為に戦っちゃる」
影虎が耳下でぼそりと呟いた。
柊子が目を開けた時には、もう、影虎は背を向けて獣へと向かっていた。イナクタプトもその隣にいる。純白のマントが翻るのが見えた。
疼くような痛みを持つ額を、柊子がそっと押さえる。痛いのにどこか嬉しい。柊子の唇が微笑んだ。
幾度剣を交え、刀を振り、斧を弾き返されたのか――誰にもわからない。戦闘がどれほどの時間に及んだのか、それを正確に把握している者はいなかった。
元より、黒雲に覆われた世界である。昼なのか、夜なのかすら判別しがたかった。
ただ、その時、誰の顔にも疲労が失望を伴って現れていた。
もしかしたら、この場での決着は難しいのかもしれない。
誰ともなく、そう思い始めた矢先。
終局は、突然訪れた。
獣の一撃で、イナクタプトの、剣が折れた。
磨き上げられた鋼が、鮮やかに散る。
「イナ様!」
蘭蘭が叫ぶ。駆け出そうとした足は、しかし、柊子の元に留まった。
ここを動くことは許されない。
イナクタプトが自分に託したのだ――初めて。
蘭蘭の足が焦れたように岩を踏む。靴の中、駆け出そうともがく足の指先の食い込みまで、柊子には見えるような気がした。
「蘭蘭ちゃん」
柊子が声をかける。蘭蘭は泣きそうな顔で振り返った。
「行って。あたしは大丈夫」
戦闘の振動で足元が揺れる。雷鳴が轟き、岩の破片が飛び散る中で、柊子はかきまぜ棒を強く握った。
「イナクタプトを助けて」
「しゅーこ……」
蘭蘭が柊子に抱きついた。
「ありがと、しゅーこ、大好き」
「あたしも、蘭蘭ちゃん大好きだよ」
柊子が抱き返す。蘭蘭が微笑んだ。
抱擁は一瞬、蘭蘭はすぐさま振り返った。
イナクタプトに獣が襲い掛かっていく姿が見える。折れた剣を、それでも構えるイナクタプトは、引く気がないらしい。
「阿呆!」
影虎がイナクタプトの前に躍り出た。
その刀も、所々欠けている。
「イナ様!」
蘭蘭が走り出す。
駆け出すその姿が、変貌していく。
少女の輪郭から、獣の姿へ。
白のチャイナ服が、皮膚へと。黒髪は、吸い込まれるように紋様へと変化していく。
その姿は愛らしく、その攻撃力は比類なく――
グレートパンダ。
鉄筋コンクリートのビル六階建てに相当するというその姿と力は、この世界においても遜色なく発揮された。
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