まぜまぜダーリン

 大体、柊子はイナクタプトから何一つ聞いていなかった。
 この世界に留まって良かったのか、この先どうしてつもりなのか、そして――
『両想いってコト。ずっと二人一緒にいるってことだよ』
 咎からの解放を、トーコはそう言った。
 本当だろうか。柊子には信じられなかった。
 イナクタプトは以前と変わらず柊子と接している。それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
 闇雲に走り続けた柊子の前に、藤の木が現れた。
 無意識のうちに、公園に辿り着いていたらしい。
「あ……」
 肩で息をした柊子が、幹に触れる。腹筋に引きつるような痛みを感じた。部活をサボりすぎたせいかもしれない。柊子は自省した。
「また困りごとか」
 藤の香りと共に、艶のある声がかけられた。柊子が藤棚を見上げると、枯れた藤の上に見慣れた顔が覗いていた。
 黒地に朱の映える派手な陣羽織に、藤の花飾り。戦国時代さながらの格好をするその男は、整った顔立ちをしていた。
「……うん」
 柊子は素直に頷いた。なぜだろう、この人に嘘はつけない気がする。
 その素直さに、ななしさんは拍子抜けしたような顔をした。
「色恋沙汰か」
「なっ」
 見透かしたような視線に、柊子が驚く。
「そういう……わけ、じゃ」
 が、否定はしなかった。
「ないことは……ないんだけど」
 ななしさんはとまどう柊子を面白がるように胡坐をかいた。膝の上に頬杖をつき、柊子の顔を覗き込む。
 居心地の悪さに視線をそらした柊子は、その腰に下げられた太刀を見た。
「刀、持ってるんだね」
「ああ」
 ななしさんは立ち上がり、柄に手をかけた。
「随分長いこと使っていないが」
 と言いながら、太刀を抜く。鍛え上げられた日本刀の滑らかな刀身が、姿を現した。
「きれい……」
 柊子が見惚れる。太刀の上を陽光が走る。鍔を返せば、その光すら切り落とす勢いだ。
「人の油が染み込んでいる」
 ななしさんが刀を鞘に納めた。
「どうして、剣を持つの?」
 柊子は聞いた。
「それは、俺に聞いてるのか」
 ななしさんは答えた。
 藤の木が揺れる。柊子は、はっとした。
「俺に、じゃないな」
 ななしさんが柊子の後ろを指差す。
 振り返った柊子の目に、イナクタプトの姿が飛び込んできた。柊子を探しているのだろう、走ってはあたりを見回していた。その息が弾んでいる。顔には、焦りの色が浮かんでいた。
「イナクタプト!」
「相変わらずだ」
 ななしさんが苦笑する。
「今は俺がお前を隠しているが――どうする? もう少し休んでいくか?」
「え、と」
 とまどったような顔をした柊子を見て、ななしさんは微笑んだ。
「そうか」
 手にした衣が翻る。藤の花弁が辺りに舞った。むせるような花の香りに、柊子が思わず目を閉じる。
「柊子!」
 その肩を掴まれた。
「イナクタプト……」
 振り返れば、イナクタプトがそこにいた。
「探しました」
 イナクタプトはそれだけ言って、柊子を抱き締めた。らしくなく、強く。
「イ、イナクタプト?」
 腕の中に柊子がいるのを感じて、ようやくイナクタプトは安堵した。深く長い息を吐く。
「……申し訳ありませんでした」
「え?」
 しかし腕を放そうとはしないまま、イナクタプトは告げた。
「ギルドの話はきちんとしておくべきでした。不安にさせるつもりはなかったのですが」
 自分のいたらなさのせいだとイナクタプトは深く後悔した。
「あ、べ、別にそんな」
 柊子が慌てて首を振る。それより、この腕はいつ放してもらえるのだろう。そちらのほうが気がかりだった。
「あの、イナクタプト」
 柊子が解放を促すようにその腕に触れた。イナクタプトの目がわずかに細められる。
 ふと柊子がイナクタプトを見上げる。
 それが契機になった。
 イナクタプトがゆっくりと目を閉じる。
 頭を垂れるように、その顔が近づいてきた。
 唇が触れる。
 柊子は驚きに目を見張ったまま立ち尽くしていた。
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