まぜまぜダーリン
イナクタプトの瞳は、金色だ。
長い銀髪の合間から覗く眼光は、時に鋭く、時に優しい。
褐色の肌によく似合う。
綺麗だと、思ったことがある――何度も。
気づけば、目を閉じるだけで思い描けるほどに、その瞳に魅入られていた。
「きゃああ!」
起き抜けに、柊子は悲鳴を上げた。
「柊子、どうしましたか」
扉の外から、イナクタプトの声がかかる。
「なんでもない! 来ないで!」
慌ててベッドにもぐりながら、柊子は叫んだ。
まだ心臓が落ち着かない。
夢を見たのだ。
昨日の、公園でのこと。イナクタプトに……
むずがゆいような感覚を覚えながら、柊子が自分の頬に手を伸ばした。
イナクタプトの唇が、そこに触れた。
思い出すだけで、体温が上がるのがわかる。赤面した己を自覚しながら、柊子はどうやって部屋の外に出るべきか悩んだ。
「おはようございます、しゅ……」
部屋の外に出た柊子にイナクタプトが声をかける。その前を、柊子は駆け下りた。
「おはよ! イナクタプト!」
言うが早いか、台所へと降りていく。階段も転げ落ちるような勢いだ。
だって、今もきっと顔が赤い。立ち止まるわけにはいかなかった。
「おはよ! しゅーちゃん!」
台所で朝食を作っていたトーコがにこやかに振り返る。美味しそうな味噌汁の香りが辺りに漂っていた。
「あれ? ごはん?」
パンを片手に学校に向かうつもりだった柊子は、拍子抜けした。
「そーなの、だってぇ」
トーコがおたまで居間を示す。当然の如く居座る影虎がそこにいた。
「朝は和食と決まっちょる」
「か、影虎!? まだいたの!?」
「ご挨拶じゃな」
めざしを丸ごと口に放り込んだ影虎が、音を立てて噛み砕いた。隣に座った蘭蘭といい勝負だ。
「だって……」
言いかけた柊子が口をつぐむ。後ろに、イナクタプトの気配を感じた。
いつものように、無言でそこにいる。
「なんじゃ?」
柊子の変化に気付いた影虎が、不審げな顔をする。
「な、なんでもない」
柊子は俯いた。
「しゅーちゃん、どうかした?」
トーコが柊子の顔を覗き込んだ。
真っ黒な瞳で見つめられると、全てを見透かされそうだ。
「おかーさん、お弁当できてる?」
「うん! できてるよー! 今日はねー、アンパンマン作ったのー!」
トーコが心底嬉しそうにお弁当箱を掲げて見せた。流行のキャラ弁を瞬く間にマスターしたトーコは、源次郎にも同様の弁当を持たせている。トーコの帰還後、初弁当の際、蓋を開けた源次郎がそこに居座るピカチュウを見て硬直したのは、大工仲間では有名な話だった。
「ありがとう!」
柊子が弁当を鞄に詰める。と、玄関へと駆け出した。
「しゅーちゃん、ごはんは?」
トーコが慌てて声をかける。
「今日いいや! いってきまーす!」
手を振りながら、柊子は家を出た。
「気をつけてねー!」
トーコも玄関から手を振り返す。
「今日、なんかあったっけ?」
柊子が朝から慌しいのは珍しかった。もしや自分は何か予定を忘れたのではと、トーコが人差し指を額に当てる。
「なんじゃ、ありゃ」
味噌汁を啜った影虎が率直な感想を述べた。ちらりと横目でイナクタプトを見やる。
通常通りのポーカーフェイスからわずかに動揺が見て取れるのは、付き合いの長さの成せる技かもしれなかった。
家が見えなくなる距離まで走ると、柊子は肩で息をした。
昨日から走ってばかりのような気がする。
「……どうしよう」
口から漏れる声が、我ながら頼りない。
「どんな顔していいか、わかんないよ……」
イナクタプトの顔もまともに見れない。去り際に見た、困惑したようなイナクタプトの表情が脳裏を過ぎった。
柊子が唇をきゅっと結ぶ。なんだか胸が痛かった。
イナクタプトの言葉が欲しいと思っていた。
柊子のことをどう思っているのか、わからなくて不安だったから。
けれど――昨日、わかった。
口付けを頬に落された時。否、イナクタプトの腕に抱き締められた時。本当はもっとずっと前からだったのかもしれない。
イナクタプトの腕が、声が、全身が、柊子を好きだと言っていた。
大切そうに触れた唇、その感触を今も覚えている。
柊子の指先がそっと頬に触れる。自分が泣きそうになっていることに、ようやく気づいた。
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