まぜまぜダーリン

 翌日も翌々日も当然の如く男達は現れた。
 影虎が腕を捻り上げた男の治療期間が終っても、やれ腹が痛いだの腕が痛いだの理由をつけてはやってくる。筧さんは辛抱強く男達の話を聞き、治療が必要であればしていた。
 我慢ならなかったのは、影虎だ。
 こういう絡め手が大嫌いな性分である。おまけに事あるごとに男達が揶揄するとあれば、尚更だ。
 柊子の厳命がなければ、とうにのしている。
 ふつふつと滾る怒りを、影虎がどうにか耐えていたのは、目の前の筧さんを気にしてのことかもしれなかった。
 怒りも、乱れもしない。淡々と、己の仕事をこなしている。時折現れる白井には、その都度断りを入れていた。
 初め、影虎はその姿を腑抜けだと思った。自分の庭を荒らされて、怒ることすらできないのかと。
 けれど、違う。
 筧さんの仕事ぶりを見ているうちに、影虎はそう思った。
 これが筧さんなりの戦い方なのだ。怒らず、乱れず、けれど譲らず。
 自分にはできないことだ。
 ならば可能な限り付き合おうと、影虎は心を決めた。
 それから、三日。誓いが破れるのは早かった。
 影虎はいつものように診療所を訪れた。その日も大人しく、壁にもたれながら筧さんが男達を治療する様を見ていた。同時に、我が物顔で男達が診療所を占領する様も。
「終りましたよ」
 穏やかに筧さんが告げた。指が折れた、痛いと言い張っていた男は、にやりと笑った。
「ありがとよ、先生」
 からかい気味の口調で、男が言う。
「治療費は……」
「まあ、ツケといてくれや」
 筧さんの頭を、男がはたいた。
 ぶつり、と己の頭の中で音がしたのを、影虎は聞いた。
 即座に男の胸倉を掴み上げる。男の足が宙に浮いた。
「な、なんだ」
「影さん」
 私は気にしてませんから、と筧さんが言った。
「わしが我慢ならんわ」
「なんだあ、ここは患者に暴力振るうのかよ!」
 言った男を、影虎が投げ飛ばす。壁にめり込むように叩きつけられた男は、その場で失神した。
「誰が患者じゃ」
「おい!」
 待合室にいた男達が立ち上がる。
 影虎の指がぽきりと鳴った。
「ここは病人や怪我人の来る場所じゃ」
 気色ばむ男達を見回した影虎が言う。
「お前ら、元気そうじゃの」
 ここに居たければ、相応の怪我でも負わんか、と立っていた男に拳を向ける。そこに筧さんが飛び出してきた。
「なんじゃと!」
 影虎が驚きに目を見開く。
 止まり切れない。
 影虎の拳が、筧さんの頬に触れた。可能な限り勢いを殺したにも関わらず、拳は筧さんの頬を抉った。筧さんの口から血があふれる。
「おい! あんた、なにをしちょるんじゃ!」
 膝を付いた筧さんに、影虎が駆け寄った。頬に差し伸べた影虎の手を、筧さんのしわくちゃな手が包む。
「影さん、いかんよ」
 筧さんは穏やかな声で言った。
「影さんの拳は真っ直ぐなんだから、ここで使っちゃいかんよ……」
 筧さんの言葉に、影虎は答えられなかった。なんと返していいのかわからない。ただ、先程までの怒りが消えている。胸に渦巻いていた黒い感情が、筧さんの手に吸い込まれていくようだった。
「なんだぁ、もう仕舞いかよ!」
 男がソファを蹴飛ばす。眼光鋭く睨んだ影虎の前に、ふらりと筧さんが歩み出た。
「すみませんねぇ、今日はもうおしまいにしますよ。私の治療をしなきゃならんのでねぇ」
 筧さんが口の端から血を流しながら言う。男達は膝を叩いて笑った。影虎が拳を握り締める。
 それで気が済んだのだろう、その日、男達は大人しく帰っていった。
 診療所のドアを、筧さんが閉めようとする。そのドアを、影虎が掴んだ。
「影さん?」
「わしも帰る」
 覇気の抜けたような声で、影虎は言った。
「今日はすまんかった」
 ぽつりと呟く。
「なんのことだかわかりませんよ」
 筧さんが微笑んだ。その笑顔を横目に、影虎は歩き去った。
 そのまま早足になり、やがて駆け出す。
 男達に追いつき、その場で全員を半殺しにしても、まだ気が晴れなかった。

 その夜のことだった。
 影虎は、中川家の縁側で、憮然と庭を見ていた。他にやることもない。月の柔らかな光が、源次郎自慢の庭を照らしている。
 溜息と歯軋りが交じり合ったような息を吐いて、影虎は拳を握り締めた。
 どうにもこれを向ける相手がいない。
 イナクタプトを相手に憂さをぶつけても、晴れるとは思えなかった。
「おっかしーな」
 柊子が、小首を傾げながら帰ってきた。手に、鍋を持ってる。肉じゃがを作りすぎたから筧さんに分けてくると言って出て行ったのだ。
 柊子は、庭に影虎の姿を認めると、足を止めた。
「あ、影虎。ねえ、今日先生いたんだよね?」
「なんじゃ?」
 影虎が眉を顰める。
 柊子が困ったように鍋を見つめた。
「なんか、いないみたいなんだよね。太郎は庭にいるけど、ごはん食べてないみたいだったし。先生、どこ行ったんだろ。夜出かけるなんて珍し……」
 柊子の言葉が終る前に、弾かれるように影虎が駆け出した。
「かっ、影虎!?」
 柊子が慌てて振り返る。
「どうしました、柊子」
 出迎えたイナクタプトが、ゆっくりと玄関から歩み出てきた。
「影虎が、行っちゃった」
「後、追って来い」
 そう言ったのは源次郎だ。
 事態を飲み込めない柊子の手から、鍋を取る。影虎の駆け去った後に、小さく風が渦巻いている。それを見て、源次郎は嘆息した。
「ほれ言わんこっちゃない。ややこしくなっちまった」
「おとーさん?」
「あのな、柊子、イナさん」
 源次郎がふーっと息を吐く。
「ちーっと、耳貸せや。おとーさまがナイスな解決案を教えてやる」
 源次郎の言葉に、柊子とイナクタプトは顔を見合わせた。

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