鬼神法師 酒天!

  表紙



 鬼姫の名は山吹。名の通り美しい色をした髪を持つ娘だった。ただ、その肌の白さと髪の色で、村人からは鬼呼ばわりされていた。
 自然、山吹は里にいづらくなり、山に篭るようになった。山には鬼や妖が出ると、村人は近づかなかったのだ。
 娘には幸い法力があった。
 旅の僧が偶然にも山吹にからくり人形を教えた。人形を繰りながら、一人で山吹は生きた。その様を見て、村人はやはり鬼の娘だったと嘯いた。
 そんな時だった。
 村人の一人の吾郎という青年が、母の為に薬草を取りに山に入った。鬼に出会い、すわ喰われるというところを山吹が助けた。
「あんた……」
 鬼を駆逐する山吹を、吾郎は唖然として見つめていた。
 どうせ悪し様に罵るに違いないと、早々にその場を去ろうとする山吹に聞こえたのは、別の言葉だった。
「ほんま、美しい」
 吾郎は山吹にそう言った。興味なさそうに冷えた視線をくれる山吹に構わず、「お前さんほんまに綺麗じゃ!」と告げ、興奮しきった様子で里に戻ると、山吹が助けてくれたとさんざん話して回った。
 それから吾郎は、礼だと言っては手土産を持ち、ちょくちょく山に向かうようになった。
「山吹やーい」
 吾郎のどこか間延びした声に、しぶしぶ山吹は姿を現した。
「迷惑だ」
 吾郎が差し出したしなびた干し柿を一瞥しながら山吹は言った。
「ここは危なかろう。鬼も出る。こりんのか」
「山吹がおるけ、大丈夫じゃ」
 吾郎がからからと笑う。山吹は笑わなかった。
 何度帰れと言われても、吾郎は山に通い続けた。
 いつしか吾郎は、山中に建てられた山吹の庵にまで足を運ぶようになっていた。
「何が面白い」
 浄化された桜の木で人形を作る山吹を、吾郎はいつまでも飽きずに見つめていた。
 山吹は、小柄な身体に淡い色の法衣を纏い、髪を三つに編んでいる。編まれた髪は山吹色で、炎に鮮やかに映えた。小さな唇が、朱色の紐を噛む。それがまた、絵になった。
「山吹はほんま綺麗じゃなーと思うて」
「この顔と髪のおかげで村を追われた。見ようとも思わん」
 吾郎のほうを見ようともせず、山吹は言った。
「でも綺麗じゃ」
 おまけに優しい、と吾郎は言った。山吹の眉が不快そうに寄る。その手が止まったのは、怒りにも似た感情のせいだろう。
「なんだと?」
「山吹は優しい」
 おらを庇ってくれた、と言いながら、吾郎が床を転がる。床に出来たささくれに引っかかった袖が、びりりと破けた。
「ありゃ」
 己の袖を見る吾郎に、山吹が嘆息する。
「朽ちかけていたのを直しただけのあばら家だ。あちこち痛んでおるから気をつけるんだな」
 それから、吾郎に向けて手を差し出した。
「縫ってやる。貸せ」
 目を瞬かせた吾郎が、にんまりと笑う。
「なんだ」
 山吹が怪訝そうに言った。
「ほれ、山吹はやっぱり優しい!」
 吾郎が胸を張る。山吹は鬱陶しそうな顔をしつつも、手は差し出したままだった。

 それからしばらくして、別れは唐突に訪れた。
 新たな鬼が山に入り込んだのだ。
 庵で作っていた人形に最後の仕上げをしながら、山吹はそれを感じた。今までにないほどの禍々しい気配が山に入り込む。山吹は弾かれるように立ち上がった。
「これは……」
 圧迫するような空気に息を呑む。ついで、よぎったのは吾郎のことだ。
「吾郎さ!」
 もう山に来る時間だろうか。否、今来てはいけない。
 草履を履くのももどかしく駆け出す。途中で指を繰ると、出来たばかりの人形の背に乗った。清められた桜の木から作った人形。山吹よりもずっと背が高く、逞しい。
「行け、桜花!」
 嫌な予感が全身に満ちる。不安を振り払うように、山吹は駆けた。

 通い慣れた道を、吾郎は歩いていた。この道は、自分が作ったものだ。山吹と会う度に草を踏みしめ、いつの間にか道になっていた。いつかこの道を山吹と下る日が来ればいいと吾郎は思った。そしたら、二人は夫婦になるのだ。
「ああ、それもええなぁ」
 幸福な妄想に、自然、鼻歌まで漏れる。吾郎がようようと山を登っていた、その時。
 ぬ、と白い巨体が木々の合間から姿を現した。
 杉の木と同じほど高い、大きな身体。その額から生える三本の角を見て、吾郎はこくりと喉を鳴らした。
 白い鬼はゆっくりと吾郎を見た。大きな手が緩慢に開き、吾郎に向かう。
「吾郎さ!」
 鬼の姿を認めた山吹は、藪を割るように飛び出した。その白い頬に、赤い飛沫が飛ぶ。
「ご……」
 山吹は動きを止めた。
 ぽき、びちゃ。
 それが吾郎が出した最後の音だった。乳白色をした鬼の背の向こう、口に咥えられる形で折れ曲がった吾郎の身体が見えた。食い破られた腹から漏れた腸がぼとぼとと地に落ちる。奇妙に折れ曲がった手足。血の気を失った顔は蒼白で、命を失くした瞳がそれでも山吹を写した。
「あ、あ……」
 山吹の口から声が漏れた。
『山吹は優しいナア』
 満足げに笑っていた吾郎の顔が脳裏を掠めた。山吹の両目から止めようもなく涙が流れる。歯を食いしばり、山吹は手を掲げた。念で練られた糸で繋がった人形が、その激情のままに動く。地を蹴り、鬼に向かって。
「うわあああ!」
 山吹は、絶叫していた。

「あの日から、あの娘は鬼姫になっただ」
 異形を憎み、殺してまわる。山には屍が至るところに転がり、死臭が満ちた。最早、村人はおろか獣もあの場所には踏み入らぬ。昼も夜も妖の断末魔が聞こえる。鳥は去り、虫は消えた。それでも止まることなく殺し続ける、その所業はまさに鬼のものだった。
「吾郎はわしの息子じゃった」
 老婆は言った。
 飛車丸が目を見開く。老婆は静かに頷いた。
「あの娘は、吾郎の亡骸を届けに来ただ。村人から石つぶてを投げられながら、それでも来た」
 集められるだけの腸と、残された片足にだけは石が当たらぬようにして、あの娘は来たと老婆は言った。やろうと思えば、あの人形で村人をあしらうことも容易かったはずだ。けれど、山吹はそうしなかった。ただ、黙って吾郎の家を目指した。話半分に聞いていた吾郎の家。こんな形で訪れるとは夢想だにしなかった。
 守れなかったすまない、と山吹は老婆に告げた。その顔にも手足にも真新しい傷が出来ていた。
 そして、仇の鬼は討ち逃してしまったとも。吾郎の身体を咥えたまま、何処へと去っていったと。
「あの娘は、今もあの鬼を探しとるだ」
 あんた旅の法師様なら、と老婆は続けた。細かく震えながら深く皺が刻み込まれた指が、畳に添えられる。飛車丸の眼前で、老婆は深く深く頭を下げた。
「もうええとあの娘に言ってやってくだしぇえ。もうええと」



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