鬼神法師 酒天!

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其ノ参 「竜宮の斎(たつのみやのいつき)と出会ひて」


 どこへ行くのかと山吹が訊ねると、飛車丸は静かに微笑んだ。
「風の向くままに」
 旅、というより、一所に留まれないが為に流離っているようなものである。そんな生活にも、すっかり慣れてしまっていた。旅の道行きに同行者が現れたのは、初めてだが。
 山を下り、当てもなく川沿いを歩く。か細かった流れは、どこまでいってもか細いものだった。本来は大きな川だったのだろう、赤く抉れた地表が剥き出しになっている。河原の草も皆萎れていた。
「日照りか」
 飛車丸が呟いた。確かに、ここしばらく雨を見ていない。乾ききった風が頬を撫でた。
「あれは?」
 山吹が、先を指差した。
 か細いはずの川の先で、轟々と音が鳴る。行ってみると、そこにだけ数多の水流が猛るように渦巻いていた。駆けつけた飛車丸が川を覗き込む、その目が、見る間に険しくなる。
「どうした」
 訊ねた山吹も、すぐさま異変を察した。
 川底に、鱗を持つ異形の姿が見えた。長い肢体は竜を思わせる。それが、川幅一杯に満ち、うねっていた。何度かそうした後、竜は水流となって川を下り始めた。
 竜の目指す先を辿ると、村の姿が見える。川べりに作られた祭壇が、遠目にもはっきりと見てとれた。
「人身御供か」
 祭壇に痩せこけた女が座っている。白い肌襦袢を着ただけの女は、水飛沫に震えながら手を合わせ祈っていた。
 その隣に立つ男。纏った法衣は川より清く、透き通った色をしていた。ざんばらに切った髪もまた、淡い水色をしている。その合間から覗く目が若い。
 男が手を広げ、竜を呼んでいる。
 どうやら、水底の竜は、あの贄を食う気らしい。
「いかん!」
 飛車丸が駆け出す。
 山吹の瞳が驚愕に見開いた。
「お主、正気か? 雨乞いの邪魔をすると?」
「贄は好かぬ」
 一言言って、飛車丸が地を蹴る。ほぼ同時に、渦巻く水流の中から、竜が姿を現した。水で象られた身体、大きく開かれた口が女を飲もうとする。
「待て!」
 飛車丸が朱棍を振るう。竜の身が爆ぜた。飛び散った水流が細かな蛇となって飛び散る。驚き竦む女の隣に、飛車丸が降り立つ。女を背後に庇うと、村人から非難の声が浴びせられた。耳を貸すことなく、飛車丸が朱棍を構える。
 飛車丸の眼前で、水流が再び竜へと形づこうとしていた。それを飛車丸が打ち砕く。竜が、咆哮をあげる。水飛沫は悉く蛇へと変化した。
「竜の加護が必要ならば私がやろう。贄はいらぬ」
 しかもこれは竜ですらなさそうだ。足元の水蛇を見た飛車丸が険しい顔をする。
「あらー」
 水色の法衣を纏った男が、間の抜けた声を出した。まいったなあと頭を掻いて、しかし、にんまりと笑う。
「わかる?」
 男が二本の指を立て、払うように地面を指した。
「土竜、召喚」
 男の声に応じるように、土が渦巻いた。村人たちが慌てて後ずさる。土の中から身を起こすように竜が現れた。角も髭も、鱗の一片すら土で出来ている。にも関わらず、水から沸いた竜とは、纏う威圧感が違っていた。
 喉を鳴らした竜が、男に擦り寄る。それから、水竜を一瞥した。途端に、水竜が霧散する。弾け飛んだ水は蛇へと変化した。水の身体を持つ数多の蛇達が、川を遡るように登ってゆく。
「本物の竜ってのはこれ。蛇が化けてるのとは、全然違うよな」
 土竜の身体を叩きながら、男は言った。事情を飲み込めぬ飛車丸と山吹の前で、悪戯っけを滲ませて微笑む。
「うーん、逃げられちゃったか」
 まいったなぁ、と男が頭を掻く。蛇達が消えた先に向けられた視線は、言うほどに困惑してはいなかった。


「申し訳もなく」
 案内された村長宅の客間で、飛車丸は静かに手をついた。
「竜に化けた蛇を退治するために一芝居打っていたとは露ほども思わず、誠に失礼した」
「ほんに困りますぞ。あれで蛇共は逃げてしまった。相変わらず川は干上がったまま。一体この始末どうしてくれるのです!」
 村長が怒りを露にした。
「詫びの言葉もない」
 飛車丸がさらに頭を下げようとしたのを、男が止める。
「まあまあ。いいじゃないか」
 村長は怒りすぎだと伸びをする。
「しかし、斎様!」
 それでは収まりがつかぬ、と村長が言う。斎(いつき)と呼ばれた男は、にっと笑うと飛車丸の背を叩いた。
「じゃ、こうしよう! この人にも手伝ってもらう! それで始末をつけよう」
「正気ですか? そのような、どこの者とも知れぬ者を!」
「俺だって村の人間じゃなかろうに」
 斎が耳を穿った。しかし、と言い募る村長の前に「あー、はいはい」とぼやきながら掌を向ける。
「我が意思は竜の意思、我が言葉は竜の言葉。何人にも縛られぬ」
 それまでの浮ついた口調が嘘のように、斎は言った。凛とした視線が村長を射抜く。決然と告げられた言葉に、村長が息を呑む。その瞬間を逃さず、斎はくるりと飛車丸を振り返った。
「そういうことだ。行こうか」
 唖然とする一同を一切介せず、斎はどこか浮ついた足取りで歩いていった。
「では、これにて」
 言った飛車丸が立ち上がる。山吹が慌てて後を追った。

 水蛇達が消えた後を追って、上流に向かう。
 酒天と山吹にとっては、元来た道を戻るに等しかった。山吹も同行すると言った際、斎は目を瞬かせた。制止こそしないものの、興味深げに山吹を見、それからその背に負った行李を見て、「持とうか、それ」と指差した。
「必要ない」
 山吹が答える。斎はそれ以上何も言わず、ただ歩調を少し落とした。
「やー、しかしまさか女連れで旅をしてる法師がいるとは」
「連れではない」
 飛車丸が答える前に山吹が切り捨てた。
「じゃあ、なんだ?」
「目付役だ」
 至極当然のように山吹が言う。
「なんの為に?」
「貴様に答える必要はない」
「おや、つれない」
 斎が肩を竦める。と、傍らに風が渦巻いた。斎に擦り寄るように形を成す、小さな竜。
「どうした風竜」
 斎が竜に頬を寄せる。
「竜使いか」
 飛車丸が呟いた。斎が笑みで返す。
「万物竜信仰って知ってるか?」
「この世のよろずは全て龍から成る、という考え方だな」
 飛車丸の言葉に斎は頷いた。
「そう。風は風竜、木は木竜、土には土竜。川の流れすら竜の背だと考える。その竜宮の跡継ぎが、俺ってわけだ」
 斎の肩にじゃれた竜が頬を摺り寄せる。
「ん。そうか、わかった」
 斎が竜の頬に口付けた。竜が嬉しそうに丸まって、風に消える。
「この先で、蛇が屯してるとさ」
 さっさと片付けてしまおうか、と斎は歩を早めた。



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