鬼神法師 酒天!

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 川の流れを塞き止めるように、水蛇たちは川幅一杯に満ちていた。水で出来た透明な身体が、幾重にも折り重なって蠢いている。
 もとより日照りである。細かった川の流れはさらに細くなり、このままでは村には一滴の水も流れ込まぬように見えた。
「さーて、蛇さん達」
 斎が手を叩いた。水蛇達が、動きを止める。
「退治の時間だ。ごめんな」
 掌を立てて、斎が言う。と同時に、斎の足元の土が揺らいだ。瞬く間に太く逞しい竜と化す。
 現れた土竜に水蛇達は牙を剥いて襲い掛かった。歯牙にもかけぬ勢いで、土竜がそれを蹴散らしていく。散らされた蛇は水へと還り、川へと戻っていった。
「……なんだ」
 嘆息したのは山吹だ。斎が竜を繰る様を、飛車丸と共に遠巻きに眺める。
「我らの助力など、いらぬではないか」
 飛車丸の唇が笑みを描いた。
「竜宮の家は古来よりの名門。蛇如きでは怯むまい」
「……知っていたのか?」
「よく」
 飛車丸が言うと、山吹は少し拗ねたような顔をした。山に篭りきりで何も知らぬ自分を恥じたのかもしれない。眉を顰める山吹の視界に、竜が蛇を駆逐する様が写った。
 何匹かを口に咥えたまま、土竜が駆ける。その身体に触れた水蛇達が水泡へと帰していく。不利を悟った蛇達が寄り添うままに身体を併せ、巨大な水蛇と化したところで結果は同じだった。咆哮した土竜がその喉笛を食い破る。
 勝敗はあっさりと決した。
 最後の水蛇を竜が食み、斎が手を叩く。
「おまったせ! 終ったぞ」
 そして二人の元へと駆けて来た斎は、なんら変わらない調子で言った。
「あとは鬼退治だけだな」
「なんだと?」
 山吹が問い返す。
「あんただ」
 そう言って飛車丸を指差す。山吹の顔色が変わった。
「竜宮の家に口伝が残ってた。子々孫々、この言の葉枯れるまで、朱棍の法師、飛車丸を討てと」
 斎が飛車丸の朱棍を指した。
「あんたのことだよな?」
「貴様……」
 山吹が身構える。飛車丸がその前に立った。
「手出し無用」
「しかし」
 言い募ろうとする山吹を、飛車丸が振り返る。少し困ったような笑み。
 それを見た山吹が、しぶしぶ手を下ろした。
 まだ何か言いたげな風情に、飛車丸がかすかに頭を下げ礼を伝える。そして、斎に向き直った。待っていたとばかりに斎が告げる。
「我が名は斎。竜宮の長子。祖先の意思により貴殿を葬る」
「承知した」
 斎の口上を飛車丸は受けた。
 あまりにあっさりとした態度に、覇気を削がれたらしい。斎に理解しがたいと書いてあった。
「……あんた、なにやったんだ? お気楽気質の竜宮にあんな口伝が残るなんてよっぽどだぞ」
 今度は飛車丸が驚いた。追っ手等珍しくはないが、そう聞かれたのは、初めてのことだ。
 飛車丸は一度目を見開き、それから静かに目を閉じた。常に酒天に答えていたのと同じ言葉を伝える。
「己の成したことでそう言われるのならば、仕方あるまい」
「そっか? んー、まあ、そっか」
 斎は思案しつつ曖昧な返事をした。わかったようなわからないような。初対面時の状況を顧みても、この法師が人に害を及ぼすとは思えない。かといって、怨敵とまではいかないが、子々孫々語り継がれる仇とあらば見過ごすわけにもいかなかった。
「独り身ならば、いくらでも喜んで討たれるのだが」
 自嘲するように飛車丸は言った。
「生憎私の内には鬼がいる。これの命まではやれぬな」
 手にした朱棍をくるりと回し、身構える。それが契機になった。
「木竜! 土竜!」
 斎の声に応じて、いくつもの木の枝が飛車丸に向かって伸びた。目を見張るような速さで、新たに芽吹きながら伸びる枝の先が竜と成る。飛車丸が迫り来る木竜達を朱棍で払う。その足元が大きく渦巻いた。飛車丸の視線を受けて、土竜が大きな口を開く。
「む!」
 飛ぼうとするより早く、足元を掬われた。土の中から湧き出た竜が、その勢いのままに飛車丸の身体を飲み込む。
 牙に弾かれた朱棍が高く飛んで行った。
「やったか!?」
 斎が身を乗り出す。途端に、その顔が凍りついた。
 飛車丸の身体を飲んだ土竜も動きを止める。その胴がわずかに膨らんだと思われた瞬間、弾け飛んだ。辺りに土の鱗が撒き散らされる。
「竜宮の小倅か、面白れぇ」
 人を見下すような声がした。
「……お前が」
 飛車丸の変化に、斎の顔が強張った。それでも笑みを消さぬのは性分なのだろう。ただ、その額にじわりと汗が浮かんだ。辺りを包む威圧感に、押し潰されそうだ。
 降り注ぐ土竜のかけら。その合間から見える飛車丸の身体からは、血の気が失せていた。青白い肌に、放たれた黒髪。目だけは血走るようにぎらついて、口からは牙が覗く。
 そして、その額から生える角。
 飛車丸の額を裂くように、角が天を仰いで生えていた。
「竜殺しなんざ慣れたもんだ。来な」
 酒天が笑んだ。指を繰り、斎を煽る。
「土竜、木竜」
 斎が呼ぶ。応えた竜達が牙を剥き酒天に向かっていった。
「はっ!」
 酒天が鼻で笑う。か細い竜達の貧弱さを嘲笑うかのように、爪で裂いた。
「こんなもんで……!」
 酒天が斎を振り返る。その目が見開いた。視界の中、斎が印を結んでいる。
「名もなき川の主よ、清き水流の化身、今、竜となりて我が力となれ」
 その呪が、今終る。
「出ませい! 水竜!」
 斎の声と同時に、酒天に影が落ちる。見上げれば、猛っていた川が身を起こすように、その全てを竜と化していた。川の源流、そして海原に繋がるまでの体躯。厳かにある、それは川の流れそのものだった。


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