鬼神法師 酒天!

  表紙



 竜というのは、かくも安い存在だったろうか。
 山吹は時折頭痛を覚えた。
 斎が同行を申し出てから、五日。今までに見た竜は数え切れない。なにせ、この男が歩いていると景色の中からふいと現れて、何事かを囁くように斎に頬を寄せ、そして消えていくのだ。木の枝は絡むように斎に触れ、川は歓喜に満ち溢れ、土は頼まずとも道を均した。火に至っては、日が暮れた途端、勝手に灯る始末である。それもこれも竜がしているのだと、斎は言った。
「随分好かれている」
 飛車丸がそう言うと、斎は人の良さそうな笑みで答えた。
「愛されちゃって困るよ」
 お陰で竜宮での修行にも苦労しなかったと斎は言った。
「なにせ、呼ぶ前に来ちゃうからな。弟には卑怯だと随分責められたが」
 まあ仕方ないよな、向こうから来るんだもんと言うに至って、山吹が嘆息する。
「どうした山吹ちゃん、それ、重いんだろう? 持とうか?」
 斎が山吹の背を指差す。山吹の体の三倍はあろうかという行李には、人形道具と共に桜花が入っていた。
「触れるな。殺すぞ」
「いっつもその物言いなのか?」
 斎が呆れたように言う。
「まあ、いいんですか……? とか、ほら、ちょっと恥ずかしげに言ってみたら」
「桜花」
 山吹の声に答えて、桜花が行李から飛び出る。浄化された桜の木から成る人形は、斎より背が高かった。山吹が指を繰り、念糸がその意思を伝える。きりりと音を鳴らした桜花は、ゆっくりと斎を見、それから己が入っていた行李と山吹を軽々と担いだ。
「手助けなど必要ない」
 山吹がふんと小鼻を鳴らした。あくまで斎の世話にはなりたくないらしい。
「いいなあ、俺も乗せてよ」
 斎が羨ましげに山吹を見上げる。ぎろりと見下げられて、慌てて飛車丸の後ろに隠れた。
「鬼姫ってーのはほんとだな。怖い怖い」
 飛車丸は斎を咎めることなく、ただ笑んでいた。


其ノ四 「旧き友を訪ね、空蝉を知る」


 道を風に吹かれた提灯が転がってくる。「豊作祈願」と書かれたその提灯は、土に汚れていた。拾い上げた斎が顔を上げる。
「祭りか」
 一瞥した山吹が告げた。
「みたいだな。終ってなきゃいいんだが」
 斎が鼻歌交じりで告げる。その先に、集落の姿が見えた。提灯はそこから転がって来たのだろう。山道がいつの間にか広く均されている。竜の仕業ではなく、街道なのだろう。遠目にも集落の大きさが知れた。村というより、町らしい。
「山吹ちゃんは? 祭り好き?」
 斎の言葉に山吹が目を細めた。
「知らん」
 幼い頃になら何度も、母に手を引かれ連れていかれたことがある。山に篭ってからは、遠く祭囃子の音と明かりを眺めるだけだった。太鼓の音が響くたびに、胸が抉られるような気分になったものだ。
 暗澹たる気持ちを思い出して、自然早足になる。
 それを見た斎が、ぽりと頭を掻いた。
「悪いことでも聞いたか」
 呟くように飛車丸に訊ねる。
「どうかな」
 飛車丸は微笑んだ。
「山吹殿は山住まいが長い。祭りにもあまり馴染みがなかろう」
「ええっ、そうなのか?」
 あんな面白いものを知らないなんて、と斎が声を上げる。竜宮の祭りは盛大だった。通りを埋め尽くさんばかりの出店、色とりどりの提灯、お囃子にあわせて踊る舞いは雅で、斎はいつまでもこの夜が続けばいいと願ったものだった。
「じゃあ余計に終ってないことを祈るな!」
 言った斎が駆け出す。待ってよ山吹ちゃん、との声に、桜花が後ろ蹴りをくれていた。


 幸いにして、辿り着いた町では、祭りの準備がされているようだった。
 あちこちに飾られた提灯、法被を着込んだ子供が駆け回り、母親達がそれを咎める。その手には、餅やら鍋やらが握られており、社へと集まった男達の手にはすでに酒があった。
 集落全体が浮き足立っているのが一目で知れる。
「お! まだ始まってないな!」
 斎がしめたとばかりに手を叩いた。その隣で、山吹が呆然と立ち尽くしていた。
 家が、道が、自分の知っていたものとは違う。
 綺麗に慣らされた道は真っ直ぐに伸びていた。両脇に並ぶ、あれは店だろうか。家の数も一目ではわからない。通り行く人は皆小奇麗で、山吹は無意識に自分の汚れた服に目をやった。
「ん?」
 立ちすくむ山吹の様子に、斎が首を傾げる。
「山吹ちゃんは、町、初めて?」
「当然だ」
 斎の声に山吹が我に返る。
 一歩踏み出し、町に入ろうとした途端、目の前で木棍が交差した。
「何者か」
 両脇から二人の男が告げる。がっしりした体格ながらも、鋭い目付きが浮かれた町の印象とは対照的だった。
「旅の法師だ。一晩の宿を借りたい」
 山吹と役人の間に割り込むように、斎が告げた。
「断る」
 横柄に男が告げた。無遠慮に斎と山吹を眺める。その口が蔑むように笑んだ。
「どこの素性とも知れぬ者を入れるわけにはいかぬ」
「なん……」
 斎が食いかかろうとした時、飛車丸が肩に手を置いた。
「ならば仕方ない。行こう」
 落ちていた提灯だけを手渡し、去ろうとする、その背に声がかかった。
「其の方は、空海様のお客人です」
 少年の声に、門番の男達が振り返る。そこに、まだ十になるかそこらの少年がいた。白い上着に紺の袴。ざんばらな黒髪に、それより深く暗い瞳が生気のない光を宿していた。
「空蝉様、今、なんと」
 男が聞く。少年は、どこか虚ろな目をしたまま、淡々と答えた。
「其の方は、空海様のお客人です。迎えに行くよう、申し付かりました」
 それを聞いた男が、ざっと道を空ける。驚きに目を見張る飛車丸の前で、空蝉と呼ばれた少年はすっと頭を下げた。
「朱棍の法師、飛車丸様とお見受けいたします。我が主、空海様がお呼びです」
「空海?」
 その名に山吹が反応を示す。飛車丸は静かに頷いた。
「空海殿、か」
 それは古き友の名だった。巡り巡るうちにその近くまで来ていたのか。
(またアイツか)
 会ったところで面白くもなんともないと、酒天が毒づく。にも関わらず、飛車丸は口元を綻ばせた。
「懐かしいな」
 口から漏れる、それは素直な感想だった。飛車丸が微笑んだのを見ても、やはり空蝉は表情を変えなかった。先ほどから空蝉を見ていた山吹が怪訝な顔をする。
「お主、もしや」
「なあ、この町、これから祭りなんだろ? その空海ってヤツのとこにはすぐ行かなきゃいけないのか?」
「祭りをご覧になりたいのですか」
 空蝉が不思議そうに尋ねる。斎は嬉々として答えた。
「そりゃあ勿論!」
 あんな楽しいもんはないという返事に、空蝉は少し首を傾げただけだった。
「空海様は、私にこの方を迎えに行くように、と」
 どうにも判断ができないらしい。
「では、私は空海殿に会いに行ってこよう」
 それを汲んだ飛車丸がさらりと告げる、その言葉に山吹は反発した。
「待て、それでは……」
「俺と山吹ちゃんで祭りを楽しむ! 承知した!」
「なん……」
 尚も文句を告げそうな山吹の口を、斎が塞ぐ。
「いいじゃないか、楽しいぞ、祭り」
 斎が囁くように告げる。その言葉に山吹は激昂した。言葉の出ない口の代わりに、指を繰る。念糸に操られた桜花が美麗なまでの足蹴りを斎にくれた。
「馬鹿者!」
 ようやく自由になった口で、山吹は吼えた。鼻を押さえて蹲る斎の前で踵を返す。
「私も行く」
「山吹殿?」
 驚きに目を瞬かせる飛車丸の前で、山吹はぽつりと呟いた。
「……空海は、私にからくりを教えた僧の名だ」
 もしかしたら、同じ人物なのかもしれない。
 貴様は勝手に祭りでも楽しめ、と言われた斎が慌てて身を起こす。
「じゃあ俺も行……」
 斎の声を遮るように、女の悲鳴が響き渡った。
 一同が咄嗟に駆け出す、その先に、鬼の姿があった。乳白色の肌をした巨大な体が緩慢に動き、女を襲おうとしている。額に生える三つの角。白鬼だ。
 その姿を認めた途端、山吹の目が険しくなる。
「悪鬼、成敗!」
 山吹が指を繰る。その横をすり抜け、桜花よりも早く、鬼に向かう影があった。
 小さな少年の影。空蝉だ。
「な……」
 驚く山吹の眼前で、空蝉は地を蹴った。懐より札を出し、早口で呪を唱える。額に札を貼られた白鬼は、悲鳴を上げながら溶けて消えた。
「空蝉様!」
 ありがとうございます、と襲われていた女が手を合わせる。女に構うことなく、空蝉は背を向けた。唖然としたままの飛車丸達に向き直る。
「皆様、空海様の庵にご案内いたします」
 まるで今、鬼などいなかったかのように、少年は実に淡々と告げた。



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