鬼神法師 酒天!

  表紙



 空海殿の頼みでなければ、貴様の面倒など見ない。
 呪詛のように呟きながら、山吹は空蝉の腕を縫い合わせた。不満げな口調の割に、手つきは穏やかで淀みない。空蝉の壊れた腕を合わせ、念を込めた糸で縫ってゆく。痛まぬよう、傷まぬように、心を込めて。それは糸の温かさを通して空蝉に伝わった。空海の時にも同じ温かさを感じていた。
 空蝉は山吹の仕事ぶりを黙って見ていた。縫い終えた山吹が口で糸を切る。
「終わりだ」
 憮然とした顔で立ち上がる。空蝉は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼などいらぬ。話しかけるな」
「ありゃー」
 その様子を眺めた斎が頭を掻く。
「姫さんずっと機嫌悪いまんまだな」
「仕方あるまい」
 嘆息するように飛車丸が言った。それでも唇が微笑んでいるのは、山吹に言うほどの棘がないことを感じ取ってのことだった。


其ノ伍 「遠き日を巡りて」


 空海の亡骸を手厚く葬り、町に下りると待っていたのは焦土だった。確かに祭りの準備がなされたいたはずの、町の姿すらない。黒々とした大地が、ただ広がっていた。焼け焦げた匂いが辺り一面を覆い、炭と化した住人が一行を迎える。
「これは……」
 袖で口を押さえたまま斎が絶句する。
「あの鬼か」
 山吹が忌々しげに呟いた。久遠と呼ばれた、あの鬼。飛車丸が珍しく感情を剥き出しにした相手。長い髪を靡かせ、嗤っていた。不揃いな二本の角に、見下すような瞳。忘れようも無い。
「そうだろう?」
 山吹が飛車丸を仰ぎ見る。
「ああ」
 飛車丸は言った。この光景にさえ見覚えがある。もうあの時のように心が叫ぶことは無い。ざわつくような感情も、久しく覚えが無かった。心が死んだのだと、そう思っていた。
「久遠……!」
 飛車丸はその名を呼んだ。言うだけで憎しみが零れる。自分の中に激情がまだ眠っていることを、飛車丸は知った。

 形だけでも住人を埋め、手を合わせると、一行はその場を去った。
「あーあ、祭り、楽しみだったのにな」
 不謹慎とも思える呟きを漏らした途端、ぽん、と思い立ったように斎が手を打つ。
「そうだ! ちょうど竜宮でも年始の祭りがある! 行こう!」
 どうせどこに行く宛もないのだ、それがいいと歩き出す。口を開いたのは、山吹だった。
「待て。竜宮では手配されているのではないのか」
 そう言って飛車丸を見やる。ああそうだったと斎は足を止めた。
「うーん、まあ、大丈夫じゃない?」
「どこがだ」
 先祖代々の仇と言ったのはどこの誰だ。山吹は眉を寄せた。
「まあ、いざとなったら俺がなんとかするよ。なにせ次期当主だし」
 からからと斎が笑う。山吹はかすかに頭痛を覚えた。
「斎殿にも考えがあろう。私は構わぬ」
 飛車丸が静かに告げる。それで決まったようなものだった。斎が指を鳴らす。
「さすが! 話がわかる!」
 そして空蝉を見て言った。
「あんた祭りを見たことは?」
「町の祭りを何度か」
「竜宮のは派手だぞ! 楽しみだな!」
 じゃあ行こうと空蝉を肩を抱き、歩き出した斎を呆れたように見ながら、山吹が聞いた。
「……いいのか」
「ああ」
 飛車丸が答える。
「何を考えている」
 山吹が飛車丸を見上げる。飛車丸は相変わらずの笑みを浮かべているが、なぜだろう、雰囲気が変わった気がするのだ。
 あの――久遠と呼ばれる鬼と出会ってから。
 静かな中にも張り詰めたような気配を持つようになった。
「何も」
 飛車丸が目を閉じた。歩き出すその背を、山吹は納得がいかないままに追った。



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