鬼神法師 酒天!

  表紙



 夜の見回りを引き受けた辰は、その役目を速やかに竜に押し付け、自分は本殿の屋根で眠りだした。異常があれば知らせろと、一言言い残して。律儀に言いつけを果たしていた竜は、その気配に敏感だった。己の縄張りである。侵入者には容赦がなかった。
 鬼の気配に、吼える。それでも起きないのに耐えかねて、竜は辰の頬を尻尾で叩いた。まだ辰は寝ている。次いで爪を構えるに至って、ようやく辰は起きた。
「痛っ」
 辰が顔を顰めた。頬が赤く腫れている。
「なんだ? えっと……」
 己を喰わんばかりに睨む竜を見て、事態を把握した。
「おお、ありがとな!」
 まだ痛む頬を押さえながら、辰が言った。
「来よったな、鬼め!」
 辰が好戦的に笑んで飛び起きる。木々の合間から、白い巨体を持つ鬼が集落を目指しているのが見える。辰は屋根から跳躍し、その指を素早く繰り印を結ぶと、地面に叩きつけた。
「出ませい、土竜!」
 呼ばれた竜が土の中から身を起こす。襲い来る鬼をその口で食み、爪で裂いた。
「伽羅様、ここはお任せを!」
 駆け寄ろうとする伽羅を腕で制す。
「辰!」
「心配無用!」
 叫ぶと同時に、新たな竜が土から沸いた。
 伽羅が踵を返す。
「皆、本殿へ!」
 騒ぎに起きてきた皆を、伽羅が導いた。飛車丸もその後に続く。
「わあん!」
 子供の泣き声に飛車丸が振り返る。皆と隠れようとして転んだらしい。すりむいた膝の血に誘われて、白鬼が子供に近づいていた。
「いかん!」
 飛車丸が駆け出す。その姿に気づいた辰が呻いた。
「馬ッ鹿……」
 生身の人間で敵うと思っているのか。竜に援護させようと指を繰った矢先、辰の背後から鬼が爪を振り下ろした。
「ちぃっ」
 辰が頬を掠めさせながら避ける。
「裂け、風竜!」
 印を結んだ指を眼前の鬼に向ける。辰の指し示す敵を、風から生まれた竜が引き裂いた。
「おいっ、無事だろうなっ……」
 辰が飛車丸を振り返る。その目が見開いた。
 子供に駆け寄った飛車丸、その体目がけて鬼が拳を振り下ろした。飛車丸が咄嗟に傍らにあった丸太を抱えて受ける――丸太は呆気なく破壊された。
「な……」
 舞う木片の中で、飛車丸が絶句する。
 鬼と呼ばれる、その存在。
 噂ならば何度も聞いたことがある。己がそうなのだと言われたことも。
 けれど、目の当たりにするのは初めてだ。
「ぐ……」
 知らず、飛車丸の膝が震えた。
 目の前で白鬼が裂ける様な笑みを漏らす。滴る涎が飛車丸の頬にかかった。
 かたかたと鳴る、これは己の歯だ。
 白鬼が手を伸ばす。飛車丸は咄嗟に子供に覆いかぶさった。その背に白鬼の手が届く。
「なりません!」
 凛とした声と共に、その手が弾かれた。
「伽羅様!」
 辰が叫ぶ。飛車丸達の周りを、光の輪が囲っていた。光の元は、伽羅だ。伽羅は両手を合わせると、一度目を閉じた。金色の髪がゆらりと舞う。それから、ゆっくりと手を広げ解き放つ。あわせて、溢れるような光が、集落を満たしていった。
 光の輪に鬼が触れる。と、溶けるように消えていった。
「これは……一体」
「伽羅様の結界だ」
 呆然と呟く飛車丸に、辰が答えた。
「悪意ある者を弾き、挫く。我らがここにいられるのは、伽羅様の加護があるからだ」
 飛車丸はゆっくりと伽羅を見た。
 身体の内から光を放つ女。やわらかく居心地の良い光は、どこかあたたかい気がした。
「あの人は……真の菩薩か」
「どこがだ」
 辰は顔を歪めた。ぎり、と奥歯を食い締める。
「命を縮める術だ。俺は、絶対に」
 使わせたくなんかなかった、と辰は呻いた。

 集落を覆っていた白鬼は、伽羅の結界により退いた。
「もう安心です、皆、良い夢を」
 そう微笑んだ伽羅の額に汗が浮いていた。心なしか、顔色も悪い。
『命を削る術だ』
 辰の声が、飛車丸の脳裏に木霊した。

 それから数日後。怪我から回復した飛車丸は、せめてもの礼にと薪割に精を出していた。
 斧を振り下ろす度に、薪が弾け飛ぶ。見ていた男衆からは感嘆の声があがった。
「あんた、見た目通り強いんだな」
 一人が頷くと、
「じゃあ、俺ら大工衆を手伝わんか」
 一人が飛車丸に手を伸ばした。即座に別の男が反論する。
「何を言う、この腕力、我ら武芸衆のものだ」
「いや、己は……」
 斧を地に刺し、とまどいがちに飛車丸が告げた。
 出来るのなら、己は。
 飛車丸がそこに望みがあることに気づくのと、辰が歩み寄るのは同時だった。
「辰様!」
 男達が平伏すように膝を折る。辰は気にするなと言いながら、飛車丸に近づいた。
「お前、腕っぷしだけは良かったな」
 言った辰が長い棒を飛車丸に投げる。
「此れをやる」
「これは……?」
 飛車丸が渡された棒をしげしげと眺めた。己の背よりか幾分長い。陽光に晒されたそれは、六角に削られた木棍だった。
「お前の得物だ。基本は俺が教えてやるからありがたく思えよ」
 辰が頭を掻いた。飛車丸の目が丸い。
「なんだ?」
 きょとんとした飛車丸に、不機嫌そうに辰が聞いた。
「いや……」
 言いながら、飛車丸は手にした棍を見た。
「なぜだろう、嬉しい」
 認めてもらえたような気がする、と呟くに至って、辰が赤面した。
「かっ、勘違いするなよ! 守り手は、いて困るってことはねぇからな。ホントは俺一人で十分なんだぞ」
「ああ、わかってる」
 飛車丸は微笑んだ。
「頼む、辰」
「よろしくお願いします、辰様、だっ!」
 辰が叫ぶ。飛車丸は否定することなく頷いていた。


【其ノ七・終】

  表紙


Copyright(c) 2010 mao hirose all rights reserved.