鬼神法師 酒天!

  表紙



「ひーちゃん、おかえり!」
 郷に戻った飛車丸に、子供たちは抱きついた。
「ああ」
 飛車丸が頷いた。
「なんだお前ら、俺にはそんなことしない癖に」
 辰が拗ねたような顔をする。
「だってひーちゃん優しいもん! 辰様は意地悪だ」
「なんだと! こら、待て」
 言われた辰が追いかける。子供たちは面白そうに逃げ回った。様子を見ていた伽羅がくすりと微笑む。
「……戻ってこれたか」
 飛車丸が呟いた。
 角に抉られた額はまだ疼く。前髪の一部も色を失い、角のように硬質化してしまっていた。
 鬼を身に宿す。
 その代償がこの程度で済むとは思えない。それでも、この場所に戻ってこれたことが嬉しかった。
 背を向けた伽羅が階段を上る。山門まで登りきると、くるりと振り返った。金色の髪が陽光に輝く。
「行きましょう、皆のところへ」
 にこりと笑って、飛車丸に手を差し出す。飛車丸はぎこちなく頷いた。

(あれは何だ、お前の女か)
「そうではない」
 遠慮のない酒天の物言いに、飛車丸は淡々と答えた。四六時中、己の内から鬼の声がする。酒天としては、他にすることもないのだ。飛車丸が巻物を手に取ると、その内容にまで口を挟む。
(読経ばっかりするな、うるせぇ)
「お主も聞いていれば良い」
 構わずに読み始めると、拗ねたような感触がした。
(経で何が変わる。腹もふくれねぇ、面白くねぇ)
 酒天の言葉に、飛車丸が苦笑する。
「私も昔はそう思っていたよ」
 それは紛れもない本心だった。

「お前が礼儀正しくなって面白くない」
 と言ったのは、辰だ。
「面白くない、とは」
「鬼が入ってからだな」
 ふう、と辰は嘆息した。
「挨拶はする、礼は欠かさぬ。鍛錬にも精を出し、鬼にも怯まぬ。つまらん!」
「つまらん……」
「辰、失礼ですよ。飛車丸は以前からそうだったではありませんか」
 絶句する飛車丸の前で、くすくすと伽羅が笑った。
「けれど確かに、より己に厳しくなっているように感じます。なにかありましたか」
「いえ」
 伽羅の問いに、飛車丸は首を振った。鬼が見ているとなれば、下手なこともできぬ。ただそれだけのことだ。
「あまり思い詰めぬようにしてくださいね」
 伽羅が言う。
 揶揄する酒天の声には耳を貸さずに、飛車丸は頷いた。

 鬼と対峙する時、飛車丸は己が内にいる酒天の存在を痛感した。
(殺しちまえ!)
 血が騒ぐとは、こういうことを言うのだろう。酒天は嬉々として、飛車丸を煽った。その日もそうだ。飛車丸は酒天の言葉に耳を貸すことなく、集落の外れに現れた白鬼を倒した。次いで、木立の影から現れた鬼を。
 打ち倒した白鬼の向こう、杉の木立の合間から、沢山の白い体が見えた。
「な……に?」
 違和感に飛車丸の瞳が見開いた。
 これまで、鬼に出会うことは多々あった。彼らは群れることがない。必ず単体で、多くとも三体程度が集っているに過ぎぬ。それが。
 飛車丸が凝視する間にも、白鬼の群れは近づいていた。
 皆一様にこの場所を目指している。警戒の銅鑼が鳴り響く。
「伽羅様、こわいよう」
「あんなにたくさん、鬼が」
 子供達が震えながら伽羅にしがみついた。
「大丈夫ですよ。ほら、手をつないでいましょうね」
 伽羅が微笑んで、その手を取る。泣きそうだった子供の顔が綻んだ。伽羅の結界が力を増す。
「辰!」
 新たな鬼を倒しつつ、飛車丸が叫んだ。
 これでは際限がない。
「わかってる!」
 怒鳴った辰が気を練った。どこかに指示を出している鬼がいるはずだ。その気配を、読む。
 瞬間、弾かれたように辰は空を見上げた。
「そこか!」
 辰が指差すと同時に竜を放った。
 竜が吼える、その先に、鬼がいた。白銀の髪に、藍染の衣。都人のような雅な姿だが、その額に角がある。宙に寛ぎ座る鬼に向けて、竜がその口を開く。
「ほう」
 呆れたような笑みさえ浮かべ、久遠が扇を閉じた。途端に、竜が弾け飛ぶ。辰の目が驚愕に見開かれた。
 白銀の髪がゆらりと靡いた。
 その額から生える不揃いな二つの角。地を見下ろした金色の瞳が、伽羅を見つけた途端、ゆっくりと細められた。
「久しいな、娘」
「久遠……」
 伽羅が呟く。憎しみが篭るようなその声を、飛車丸は初めて聞いた。



【其ノ九・終】

  表紙


Copyright(c) 2010 mao hirose all rights reserved.